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喋りたがりの きかんしゃトーマスオタクによる雑記

きかんしゃトーマス 第22シリーズ(2018)全体の感想

※この記事にはネタバレや、強い言葉が含まれています。

また、記事の内容は個人的な意見であり、他のファンを代表するものではありません。

 

 

【目次】

 

 

【はじめに】 

 この記事は2018年に英国で放送された第22シリーズの最終的なレビューになります。

2019年4月から2020年3月に渡り、日本での放送がようやく終わった今、レビューの纏めを投稿するに至りました。英国で放送が始まる前に大改革を紹介する纏め記事を書きましたが、ここで話す事は、放送終了後、それについて考えた私自身の意見です。

 私が放送前から抱いていた違和感と放送後に出た発見を、簡潔に纏め(たつもりで)書きました。

 

【各エピソードの評価】

 詳しい感想や、この記事で拾いきれない細かいネタや豆知識は、各々の個別記事の方を読んでください。

 シリーズ中の魅力的な部分に注目を集めたいので、プロダクションオーダーや番組表の順ではなく、高評価→低評価の順番でエピソードの総合的な評価を述べましょう。

 

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©Mattel

1. 『かしゃをさがせゲーム』『Hunt the Truck』 10/10

脚本: マイケル・ホワイト

道徳: ゲームはみんなで楽しもう

 エドワードがレギュラーから降板になった事を嘆いている暇があったら、まずこのエピソードをご覧くださいというか全エドワードファンと、ビル/ベンファンに視聴をお勧めします。ここでは、彼らがまだ番組で大きな役割を持つ事を証明しています。

 エドワードの存在価値を今一度見出せたことと同時に、原作31巻及び第2シリーズのエドワード、ビル、ベンの関係について深く掘り下げられました。私もボコの帰りを待ち焦がれている身ですが、もしこのエピソードでボコが戻ってこなかった事を貴方が失望しているなら、エドワードがどんな目的を果たしたかもう一度確認してください。

道徳もキャラクターも素晴らしいです。最近のシリーズで度々見せるエドワードの遊び心のある性格がとても好きです。また、空想シークエンスも上手くいったと思います。これは一時的に物語から逸れる物ではなく、物語に関与し、ビルとベンの行動と心理に働きをもたらしました。

 ビルとベンと云えば、S19『もどってきてティモシー』のレビューで触れたように、問題が大事になって叱られるまでほったらかしにする傾向にあった近年の悪いところが払拭されたように感じました。悪戯を本気で後悔したのは初めてですし、エドワードの策略のおかげで自分たちでは解決できませんでしたが、荷物を待つ人々の為に最善を尽くそうと考えて行動できる子たちなんだと、改めて気づかされて良かったです。

 

 私は度々、脚本家のマイケル・ホワイトを賞賛していますが、ファン出身の事実に関してはさほど重要ではなく、これまでのシリーズのキャラクターと、真新しいフォーマットを十分に理解した上で対象の子供に向けた適切な道徳を書けるという点で、彼はリー・プレスマン、ヘレン・ファラルに続く最高の脚本家だと私は思います*1。しかし贔屓するつもりはございません。

 とにかく、このエピソードは最高でした。下記にも書きますが、エドワードはレギュラーの中でも、主軸とした脚本を書くのが難しいキャラクターの一台です。しかし、適切に使う事が出来れば、物語の進行に大きく貢献できます。その証がこの回なのです。

 

 

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©Mattel

2. 『ロージーはあかい』『Rosie is Red』 10/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 意地悪な誤解、友達の味方

 私も最初は錯乱しました。そして錯乱した私の言動によって国内のファンを(主にTwitterにて)無駄に騒がせてしまったことをお詫び申し上げます。ごめんなさい。

 個別記事で申しあげたように、ロマンスとバレンタインデーをテーマにしていますが、本題は男女間の友情のお話です。機関車と人間との対比のようにも見えます。プロット全体は自然で、主に男女共学校に通う子供たちに関係があるので理解と共感を得やすいと思います。そしてまだ体験したことが無い幼い子供たちの役にも立ちます。

また、上記のエピソードに続き、キャラ使いは完璧でした。エドワードとパーシーさえ見事に描かれています。冒頭からゆったりと始まりますが、ペースはちょうどよく適切で、落ち着いていました。

 

 私個人の話になりますが、機関車はキスが現実的でない事や、トーマスにその気がない事、そして好きと言ってもお互いに恋人として愛し合っているわけではないと公式で否定してくれて良かったです。リプライでCPを押し付けてくるような一次創作と二次創作の区別がつかないフォロアーさんが居られるので…。

 また、絵本が出版されて73年、このようなテーマが存在しなかったので、アイディアがマテルの上層部と脚本家のどちらにあったかは判りませんが、デヴィー・ムーアの勇気ある取り組みに賞賛します。事実上、原作者がロマンス表現は幼児や児童を気まずくさせるとしてあえて描写しませんでしたが、個人的には機関車キャラクターは感情や愛情があっても友達以上の関係には興味が無いと思います。何故って…無機物なので。度々メディアによって話題が上がる"性自認"も同様。

 それらとトーマスシリーズを結びつけるのは難しいですが、少なくとも7分の間に纏めて良い結果をもたらしたのは大きいと思います。今期で群を抜いて独創的で、教育的で、芯から面白かったです。

 

 

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©Mattel

3. 『サムソンとはなび』『Samson and the Fireworks』 10/10

脚本: リー・プレスマン

道徳: 脅える友達を落ち着かせる

 サムソンは年配設定ながらもフィリップと同様に成長の余地=子供の共通点を多く持ち、長期的なスパンで主役回の恩恵を多く受けたキャラクターですが、どれも一貫して彼の無知さと傲慢さによって引き起こされる"ある種の悪意"のみに焦点を当てすぎていました。それでも私はサムソンが好きでしたが、物語で馬鹿に見せるだけで他に面白く見せようとする特徴が、これといって無い欠陥が離れずにいるなぁと感じていました。

 その流れを見事に覆したのが本作です。物語は本当に良かったです。多くの人々が同一視ならびに簡単に理解できる、突然の破裂音への「恐れ」に焦点を当て、サムソンとブラッドフォードの及ぼす魅力を引き出しました。また、信号雷管という鉄道らしい要素と紐づけています。花火の恐怖に立ち向かうだけでなく、迷子になった時、特徴物を目指すヒントを与えているところも素晴らしいです。

 ブラッドフォードと云えば、サムソンの頼もしい相棒として再び出番が与えられたことが何より嬉しかったです。初登場の段階では、相棒である事が明かされても、コンビとしての作用を見る事も無ければ、憎まれる滑稽役で終わるので、一発屋にするには勿体ないと思っていました。"公式の鉄道安全マニュアル"に「苦手な事に立ち向かう機関車は、とても役に立つ」が本当に記載されているかは定かじゃないところを、ブラッドフォードなりのやり方で、自分を信頼している相棒を励ます様子は、見ていて本当に楽しい物でした。これらのキャラクターの輝く瞬間がシリーズの品質を向上させます。

 

 

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©Mattel

4. 『トーマスとはこぶね』『Thomas' Animal Ark』 10/10

脚本: リー・プレスマン

道徳: 動物のお世話

 トーマスの世界でより多くの動物を子供たちに見せる為、今期はとにかく動物絡みが多いです。機械と動物では生きていく環境が異なることを第17シリーズで示唆しているように、私が思うに、これらは水と油のようなもので、混ざり合うのは現実的ではありません。皮肉にも、その手の類いを何の矛盾とも思っていないようなエピソードと平坦なドキュメンタリーが今日いくつも混合しているので、うんざりしています。

 しかし、このエピソードは違いました。動物を建造物へ送るという点で、S15『パーシーのあたらしいともだち』とよく似ていますが、自分の利己的な欲求の為に自然動物を持ち帰るのとは大きく異なります。同じだと思った人は、一旦、リアリズムを置いて、観方を変えてみてください。これは共感と配慮がテーマの利他的な物語です。

 実行には季節と運が大きく関係しています。動物を温めるボイラーの故障という不運、積雪の不運、そして他人に親切にするクリスマスの習慣+トーマスの元々の思いやりの心で、恵まれない者を助ける心の暖まる素敵なエピソードとして上手く動きかました。これは動物だけでなく人々にも身近に関係する良い教訓でもあります。

 ペースも良く、ドキドキする瞬間にしろコメディ的な演出にしろ何か一つの要素で押される事も無く今期のフォーマットもすべて織り込まれた上で、前の作品と変わらず質の高さを安定して保っています。

 トーマスが同じシリーズにてインドで得た知識をソドー島で活かしているところが大好きです。世界編の冒険を無駄にしないという意気込みを感じます。それから、飼育員ジャックとの相互作用や、エンディング後の道徳コーナーでジェームスとダチョウのその後が描かれる追加要素も素敵でした。この演出は2019年現在、この回だけです。

動物も暖まり、視聴者も温まる素敵なエピソードです。一切の無駄が無いので、それ以上の事は何も求めません。

 

 

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©Mattel

5. 『おくれてないけどこんらん』『Confusion Without Delay』 10/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 頑張りすぎて失敗、誰でも失敗から学ぶ

 新しいレギュラーキャラクターであるレベッカが具体的にどのような機関車か、上手い事描写されています。物語は全体的に楽しいですが、唯一ペーシングに問題がありました。視聴者にレベッカを紹介する目的に加えて、進行上、彼女にもソドー島の機関車達を知ってもらわなくてはならないので、ペースは押されて苦しむことになります。7分という制約の弊害です。しかし、結果的には上手く纏められていました!

 お浚いのコーナーで語られる道徳は「誰でも失敗する、そこから学ぶ事が大事」と、あります。子供たちにとって非常に重要な道徳だと思いますが、物語のテーマとしては少し本題から逸れている気もします。要はそれだけじゃないという事です。

レベッカの失敗は、周囲の期待に応える為に良い印象を持とうとしたことと、周囲の仲間に見劣りしまいとハードルを高く上げ過ぎたことによるものです。これらは彼女の性格から来ており、また、彼女は未就学児との共通点を多く持っています。以上の事柄はレベッカの台詞だけでなく空想でもわかりやすく表現されていますね。隣の芝は青く見えると言いますか、自尊心が無い子なんか特にそうで、友達の事をすごいと思いがちになるあまり取り残されたような気分になります。なので、レベッカが出来るだけ多くの事を試みて頑張りすぎた理由に私はとても共感しました。

物語で伝わるのは、周りに良い印象を与えるために努力する必要は無く、自分自身の個性を活かそうというところです。他にも焦りだとか、いろんなテーマがこの中に収束されているばかりか、時刻表を守ることの重要性という鉄道らしさも描写されていたのが嬉しかったです。

 『TGR』や『BWBA』でも同じことが言えますが、日本語吹替え版は、ゴードンとフライング・スコッツマンの関係を兄と弟と決定づけさせるのではなく、あやふやにする必要があったと思います。今回は特に文字通り「Little brother」に関した兄弟いびりがありましたので、それを「弟」と訳した事で少し違和感のある台詞が生まれてしまいました。「ちっこい兄弟」なら問題なかったのになぁ。

 いくつか欠陥がありますが、物語も、登場キャラクターも、テーマも素晴らしく、独創性があったので10点満点から評価を下げるつもりはありません。私の今期のお気に入りの一つです。

 

 

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©Mattel

6. 『レベッカはとくべつ』『What Rebecca Does』 9/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: それぞれに何か「特別」な個性を持っている

 前回のレベッカのエピソードの結論に到達します。偶然かもしれませんが『エドワードのやすむばしょ』『ずっといつまでも』『おくれてないけどこんらん』『レベッカはとくべつ』の構成で原作のような絵本がきれいに出来上がる事に気づきました。過去のCGシリーズにも3~4部作と思しき連続性のあるエピソードがありましたよね。それに近い物を感じます。

 エピソードは、仲間を羨んで自身が誰であるか迷走する類いの『エミリーとケイトリン』と同じプロットを持っていますが、レベッカ自身が保持している個性と感じられるものなので、それより自然でした。無意識に他人の良いところを見つけて相手のやる気を起こさせるレベッカの個性も、道徳も素晴らしいと思います。また、脇役キャラクターも活き活きとしていて、初報で紹介されなかった女性キャラクターを含む男女平等に出ていたのも特徴の一つ。それぞれの個性を発揮できる、まるで欲張りセットの様で、このシリーズから観る人にも親切です。

 空想シーンは少し奇妙で、ここまでに逢ったベルの放水銃、マリオンのショベル、ハーヴィーのクレーンに交じって、会っていないディーゼル10のピンチーを付けています。彼女がどうしてそれを知っていたのかは謎でしたし、(非現実的かどうかは別の問題として、)仲間から恐れられていて賞賛される機会の少ないディーゼル10が出演していたらちょっぴり面白い瞬間があったでしょうね。だけどベルもマリオンもハーヴィーもデイジーも外せないし、うーん…。

物語は良いけど、構成は単純で、唯一、作業員ごと土と一緒にショベルに掬われるコメディ演出だけが気に入りません。

 

 

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©Mattel

7. 『カラフルなきかんしゃたち』『An Engine of Many Colours』 9/10

脚本: マイケル・ホワイト

道徳: 自己誇示が高いと失敗する、見た目が全てではない

 今期からのセールスポイントの一つである空想シークエンスを、夢という形で物語の全体に使い、その利点を示しました。内容の薄さにも拘らず、子供たちに必要なメッセージと、筆と声優の演技で全てのキャラクターの性格を巧みに利用し、思わず感情移入してしまう悪夢の演出と音楽で、とても楽しみました。総合評価は9点ですが、お気に入りの一つです。ジェームスの精神面の成長が継続するものになればいいんだけど。

 現在、私にとって過去作からの参照は、作品の継続的な物だと思っているので、『ジェームスのあやまち』の言及は、年齢層のターゲットと異なる不快な古参ファンサービス*2には感じられませんでした。但し、あれから34年、ジェームスは何度もボディを汚したり、行儀悪く事故を起こした経験があるのに、今日までこの話題が一度も上がらなかったので、今更感は残りますが…。

 とにかく、ジェームスがいろんな色に変身するのを公式で見る事が出来て嬉しいです。色と云い、空を飛んで回転する空想の演出と云い、常に新鮮な体験を目にして、楽しかったです。

空想にはリアリズムが一切働かないので、決して『汽車のえほん』からは明らかに想像もつきませんが、私を含む古参ファンがこれを受け入れられているのは凄い事です。少なくとも私の場合は、今日日子供たちに通じるものがあり、夢とは実際にこういう物という感覚を覚えていて、心理的な深みとユーモアが高揚感を誘い、我々が知っているキャラクターとして適切に動作しているのも影響しているのかもしれませんね。

 ところで、吹替え版のサブタイトルは、なぜ複数形なんでしょうね。「An Engine」なのに。また、UK版のロブ・ラックストローの演技はかなり優れて聞こえました。吹替え版がUS版準拠*3にしてしまったのが惜しい…。でも、江原正士の演技も愛があって素晴らしかった。

 

 

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©Mattel

8. 『オーストラリアのトーマス』『Outback Thomas』 9/10

脚本: ティム・ベイン

道徳: 冗談と事実、物事の虚偽

 質の高い世界編第一号。完璧ではありませんが、以前のシリーズに通ずるものがあり、今期の世界編の殆どに欠けていた物を補っていて努力が垣間見える良いエピソードです。それは、トーマスの好奇心旺盛で自信過剰な性格と、オーブリーとエイデンの賢明でユーモアに富んだ性格がぶつかり合って、中身のある娯楽と道徳を含んだ性格劇になっていたことが大きいです。私はまだ主人公が観衆の周りで醜態をさらす構成が苦手ですが、陽気なシェインの仕事がツアーガイドという事もあって冗談と共にカカドゥ国立公園の説明を楽しく理解することができ、それぞれの性格も強く、ペースも安定していて面白かったと感じています。

 主役と根本的な道徳は『なぞのきかんしゃジェフリー』と同じでも、責任を架空の存在に押し付けるのとは違い、ツアーガイドになりたがるあまり、未知の土地で、あたかも知っているような素振りで冗談を言うという物だったので、私はこれを容認する事が出来ます。また、中盤でシェインが不在だった理由は、第23シリーズの彼のエピソードの事を考えると簡単に納得できましたが、これが初登場なので、それはそれです。

 ティム・ベインが7分の「ヤーン」を通して伝えようとしたメッセージ性や、オージー英語のスラングを拾って物語(ヤーン)に関連付けていたことも好きですが、吹替え版は「ディンゴが食い散らかしたような事態」という言い回しを除いて言語に関する豆知識が(英語とはいえ)完全にカットされていたのが少し残念です。訛りいじりに関してはしょうがないけど。

 

【日本人への補足】

 吹替え版でエイデンがトーマスに対して「子供っぽい声」とからかいますが、原語版ではトーマスのブリティッシュ英語*4、つまり訛りをオーストラリア人視点でからかっています。

 

 

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©Mattel

9. 『カンガルー・クリスマス』『Kangaroo Christmas』 9/10

脚本: ティム・ベイン

道徳: いつもと違うのは悪い事ではない、クリスマスは家族や友達と一緒に

 クリぼっちを否定しているわけではありませんが、愛する家族や仲間と共に過ごすクリスマス、それは家族の為の、真に心温まるエピソードとしてこの話をとても気に入っています。ジョーイをお母さんカンガルーに届ける、マドレーヌと両親を祖父母の家へ届ける、そしてトーマスもオーストラリアの仲間達と過ごす。この流れがとても好き。また、S21『デイジーのかんぺきなクリスマス』と同様の部分は、オーストラリアの12月(南半球では夏)に設定されている事で、より強固に感じられました。

 くっきりとカンガルーの形に作りこまれているサボテンやアリ塚、カンガルーの袋事情、人みたいな動きをするお母さんカンガルーを含み、いくつかの点でリアリズムを欠いています。後になって気付いたのが、機関士がさりげなくジョーイを素手で拾ったり、それを母親の前で実現するのは非常に危険だという事です。本当に些細な描写ではありますが、カンガルーと接する時は十分な注意が必要で、機関士をお手本にしてはいけません…。全体的にティム・ベインがカンガルーの簡単な説明をエピソードに織り込んでいるのと同様に、サボテンとアリ塚の件を省いて、それをオーブリーとエイデンの介入で説明することが出来たら良かったかもしれませんね。

 これらの欠点にも拘らず、カンガルーに関する有益な情報は物語を台無しにすることなく必要な鍵となっていたし、物語の終盤は本当に心が和み、癒されました。

 

 

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©Mattel

10. 『トーマスとドラゴン』『Thomas and the Dragon』 9/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 未知への恐怖

 中国の文化の一つ、春節の習慣がトーマスの物語として上手く織り込まれています。ペースが良く、教育的だけど面白くて、自然な進行に加えて、季節を示す桃の木、ランタンを運ぶ人、獅子、言語、ニワトリなど、総て春節に関連する演出で無駄が無い所が好きです。

 トーマスは元々ある好奇心旺盛な部分と恐がりな部分が強調されていて、S2『ゆうれいきかんしゃ』のように牧師の設定で根は臆病であることを思い返すと、それほど不自然ではありませんが、やっぱり何も疑いを持たないところは少し違和感でした。この為か、物語は若干薄いものの、他は性格劇っぽいのでまだ面白さを残しています。

ドラゴンと云えば、S3『トーマスとパーシーとりゅう』他、お祭りに使われる"チャイニーズ・ドラゴン"が過去3回に渡ってトーマスと共演している物語の継続性が失われていると指摘する人を多く見ました。確かにそうですが、個別記事でも言及したように、ソドー島と異なる未知の土地であり、上述のドラゴンが中国の文化と彼が認識している様子も無いので、自分の知らないフシギがあると思い込んだのだろうと解釈できます。

 空想シーンは英国出身のトーマスが実際に思い浮かべている物が「竜」の方の西洋の"ドラゴン"だったのが面白かったです。しかし、空想上の"ドラゴン"のレンダリングとモーションはまるで90年代後半のCGのようでした。ややクオリティが低い。

"空想シークエンス"(Fantasy sequence)と定義された物とは別に、煙突の蒸気から炎を吐くドラゴンを空想する演出を初報の段階では今期のセールスポイントだと思っていたのですが、このエピソードだけの特徴だったのが驚きです。ここは上述の空想より素敵に思えました。

 

 

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©Mattel

11. 『ニアとすうじ』『Counting on Nia』 8/10

脚本: リー・プレスマン

道徳: 助けが必要なときは尋ねよう

 今一度言いますが、数字のお勉強ではなく、あくまで識字のお勉強です。これは文化の違いだけでなく、子供や聴力障害者、学習障害者が最も身近に関係するものです。「助けが必要なときは尋ねる」というテーマは過去に何度も行われてきたことですが、それが親しみやすくユニークな方法で結びつけられたことに注目してください。

 長い間、よくいる一般的な助言者として見なされていたアニーとクララベルの輝かしい役割も素晴らしいです。ニアに否定的な判断を下さず、明るく手を差し延ばし、理解の早いニアならではの強みを活かして、実用的かつ視覚的な方法で教育と克服するのをサポートしています。友達ならびに保護者のあるべき姿というだけでなく、彼ら独自の方法で学ぶというのもポイントです。

 期待に応えられずニアが側線で落ち込む場面は、生まれながらの賢さと知識を持っていることと、来島するまでの環境を考えると、こう、すごくクるものがあるんですよね。個別記事でも言いましたが、映画では不正行為や仕事が正しく行われない事に厳しい意思表示をしているように、この流れもニアならではと容易に考えられ、テーマにも理に適っています。

 いくつかの素敵な要素を兼ね備えているものの、結果的に物語はかなりシンプルでした。あと、リー・プレスマンの脚本が今期で最後と思うと寂しいなぁ。

 

 

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©Mattel

12. 『ダックのがっこう』『School of Duck』 8/10

脚本: リー・プレスマン

道徳: リペア、リサイクル、リユーズ

 客車を再利用するテーマは過去にも行われましたが、ダックにとっては初めての体験なので良しと考えています。思い返せば、これはS5『トーマスとふるいきゃくしゃ』よりも物語に集中していました*5

 SDGs第12目標「つくる責任つかう責任」と道徳は物語に上手く織り込まれていました。元々その考えを持つキャラクターが居る事や、再利用できるものが鉄道と町に多く点在しているので、他の取り組みと異なり偽善的に感じず、序盤でレッジが吹いたチューバさえ、彼の提案通り無駄にしていないところが好きです。(未だに彼のチューバの吹き方にはイライラするが)。また、ダックの硬派さと、思いやりのある心が活用されているところと、デクスターの性格と原語版の声は一番の見所といえるでしょう。

 多くの人が、エドワードがスリップコーチを牽引していることに対して腹を立てていましたが、それだけで評価を下げるのは浅はかです。それに対する私の見解は個別記事にてポジティブに述べていますので、そちらをご覧ください。

 物語は素晴らしいです。テンポも良くて、ユーモアに富んでいました。私が9点を点けなかった大きな理由は、デクスターが本当にそれで幸せなのかどうかという疑問が残ったことです。加えて、彼が一発屋の意図で登場した事。出来ればまた出てきてほしいんだけど。今度は移動式教室として。嵐の事は…、うーん、まあ、いいでしょう。

 

 

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©Mattel

13. 『かしゃをとめるワザ』『Runaway Truck』 8/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 落ち着いて応用に挑戦しよう

 私はこのエピソードを気に入っています。はい、確かにレイが何度も転んだり、岩に乗り上げて隣の線路に移るのはコメディっぽいかもしれませんが、そこまで不自然ではなかったのであまり気になりませんでした*6。現実は小説より奇なりって言うでしょ。それに子供たちが楽しめるなら十分に公平です。私も追跡の場面を大いに楽しみました。

具体的に気に入っている理由は、ヨンバオ先輩に教わりながら、貨車の止め方を中国の文化の一つである太極拳になぞって応用を育んだことです。7分のランタイムで物語で上手く組み込まれています。それが素晴らしいという意味ではありません。とかく今期の世界編が、トーマスが"観光して学ぶ"エピソードの多さを考えれば、私の云いたい事は、わかるでしょうか。

 実はトーマスは『KOTR』の冒頭においてこの応用を自然に行っているんですよね。それが無意識のうちにやった事と捉えれば少し自然なのかな。それからヨンバオも大型テンダー機関車なのに機敏に動けることに違和感はありましたが、中国版『TGR』のDVDに収録されているミニストーリー「Yong Bao and the Tiger」によれば、赤に塗装される前は入換え作業を行っていたので運転に慣れているのかもしれません。

 レイの役割は可哀想かもしれませんが、本人は好きで練習に付き合ってるようですので特に問題ないと判断します*7。今の所、この回だけのぽっと出のキャラクターなので、どのようにヨンバオと親しいのかを知りたいです。

 

 

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©Mattel

14. 『トラでトラブル』『Tiger Trouble』 8/10

脚本: ベッキー・オーバートン

道徳: 野生生物の保護

 密猟ハンターから絶滅危惧種のトラを蒸気機関車が守る興味深いエピソードです。私はこのテーマとキャラ活用に感動するあまり、やや過大評価しすぎてプロットの穴を見落としていたかもしれません。いえいえ、内容は良いです。特にわかりやすく展開するので子供たちも容易に理解できる事でしょう。

しかし、物語の前半はトーマスとラジブがツアー列車になりたがるのに対し、ジャングルの中に入ると若干話が跳びます。この為、前半はやや穴埋めのように感じ、また、トラになりきる空想も完全に不要でした。残念ながらこれらは後の物語に何の影響も与えません。前半のプロットでシャンカールが被った巨大な布が触れられる様子や、寄り道するより、ラジブが駅でツアー列車に成りすましてハンターを乗せる場面が実際に有れば自然だったのかも。

 また、ハンターが馬鹿のように描かれたのも気になります。まあ個人の利己的な理由で密猟するのは馬鹿だけど。未就学児向けのフィクションとはいえ、視聴者に脅威を示す登場人物としてはかなり微妙で、持ってきたのが巨大な虫取り網と、絶対にばれそうな檻を平台貨車に載せて客車の後ろに繋げているのは、鉄道員のずぼらな管理も相俟って、違和感がとても大きかったです。

個別記事では麻酔銃の話をしましたが、子供番組の銃規制が厳しいとのことでしたのでノーカンとします。(※件の指摘コメントありがとうございます)。

 …とはいえです。主人公のトーマスと一緒に、ドキドキの展開の中で、現地の機関車ラジブとシャンカールが魅力的な性格を活用しながら大きな役割を果たした上、事実と関係性のある教育的な道徳を織り込んだ良作であることに間違いはないと思います。今期のインド編で一番楽しんで視聴できました。

 

 

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©Mattel

15. 『ずっといつまでも』『Forever and Ever』 7/10

脚本: アンドリュー・ブレナー

道徳: 変化への適応、環境の変化と友情

 そしてS21『エドワードのやすむばしょ』の続編がここにあります。ヘンリーがティッドマスから離れた理由が描かれていない事は欠点と言えますが、古参オタクの私欲を抜きに観れば、メッセージは子供に必要でとても重要な道徳です。ニアは実際に自分の心の中で極端な変化を経験しているので物語にとって遥かに自然に感じられます。友情はどれほど遠くにいても変わらない、それは私も経験しており共感を呼びました。

 ゴードンの癇癪は面白かったです。しかし、私欲全開及び理由も無く喚きちらすファンにうんざりしているような一部のファンは、この状況を"保守的なファンの比喩"と見なして喜んでいました。確かにそこに共通点はあります。でも、脚本と台本は当時の情報が公開されるより少なくとも1年前には仕上がっているはずです*8。そして、彼が現在の状況に満足したかは考えにくいですが、我々のような古参ファンは視聴者の中でも非常にニッチな層ですし、ブレナーが対象外の視聴者を挑発する程、小物な脚本家ではないと私は思います。残念な事にこの議論は国内外で未だに続いています…

 ブレナーがゴードンを極端に描いたのは、変化に弱い自閉症の子供たちと共に過ごしてきた時間が影響しているのかもしれません。また、元々のキャラじゃないにしても、ゴードンが変化に弱いと感じられる様子は、S10『エドワードのしっぱい』や、S20『ヘンリーか? ゴードンか?』でも似たような描写が為されていますので参考程度に…。

 原作1巻からの長い付き合いというだけであって、ゴードン自体は自閉症のキャラクターではありませんが、このテーマは子供ならびに発達障害の視聴者には特に刺さるメッセージだろうと思います*9。最後でレベッカの来島を仄めかす場面で再び拒絶反応を起こしたのは、まだ変化に不慣れなファンが居るのと同様に、頭の中で理解していても受け入れるのに時間がかかる考えの旨を示唆しているのかもしれません。だけど、もし新しい機関車の到着を少しでも受け入れてみようという姿勢を続けていたら、子供らへのメッセージはより強固な物になった事でしょうね…。

 少なくとも、ゴードンは兄弟いびりから救われた事でレベッカを受け入れられましたが、上述の流れがあっても違和感は無かったと思います。

 

 

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©Mattel

16. 『いちばんのきかんしゃ』『Number One Engine』 6/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 友情は勝負の結果より大事

 最終的に「平凡」という評価に落ち着きました。特別凄いわけでもなく、物語についてはあまり語ることがありません。道徳はS1『トーマスとバーティーのきょうそう』に共通していますし、展開はS17『せんろをさがすトーマス』とS19『あかとあおのたいけつ』のマッシュアップのように感じます。主な違いは、ソドー島とは違う中国、すなわち危険な近道など異なる環境を乗り越える事です。公平に言えばこれらのメッセージは素晴らしいですが、物語の内容は少し弱めです。

 キャラクター観で云えば、ニュートラルに描かれるトーマスを除いて面白く描かれていると思います。ホンメイはトーマスより賢そうだけど、生意気で、石を落としている事に気付かないくらい競争に熱中するという弱点が描かれるなどバランスが取れています。アンアンとインロンも、アニーとクララベルとは真逆の性格が与えられていたところも魅力的に感じられる部分でした。私はキャラクターとして彼らが好きです。

 ペースが速い分、産業用の入換え機関車がゴードン並の速度で走る事への違和感もさることながら、ホンメイの速度を考えると彼女より遅く到着したトーマスが橋の上で戸惑った=時間が空いたにも拘らず脱線した彼らの悲鳴がよく届いたもんだなと、少し都合のいい展開と思ってしまいました。総合評価が7から6へ下がったのはこの所為です。

結果はどうであれ、また、近道とは云えど、ソドー島には無い危険な線路は、ちょっぴり興味深かく、冒険心がくすぐられて楽しかったのは、私の素直な感想です。

 

 

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©Mattel

17. 『みえないきかんしゃマーリン』『Seeing is Believing』 5/10

脚本: アンドリュー・ブレナー

道徳: ごっこ遊び、何が真実か見極めよう

 実際の所、未だにどう評価していいか分かりません。3本の煙突で自分の姿を消せると信じ込んでいるマーリンと、マーリンを本当に見えない機関車だと信じ込むパーシーという真実を知らない2台の機関車が共通する滑稽話で、子供たちに何が本当かを考えさせるのが目的なのかどうかは不明ですが、楽しい感じがします。けれども、私の中では無邪気な子供のような彼らが事の真実を知る=信じていた夢を打ち砕かれた時、周囲の仲間の行動も含めてどうなってしまうのかが心配でモヤモヤしてそれ以上の評価を上げられないといった感じです。前後に語られる道徳は良い事ですが、先述の事を踏まえて考えると、このエピソードに本当に適しているかは、正直よくわかりません。

 評価が低い理由は、トーマスがソドー島の仲間にマーリンを紹介する時間が長くて本題に入るまでが遅すぎた事です。まるでS21までの約10分のランタイムを前提に書いた物から3分ばっさりカットしたような本題の短さと急な終わり方は微妙に感じました。

 高評価について話しますと、パーシーのウブな部分が見られたことや、(ただそこに居ただけだったが)トレバーが使われたのも嬉しいです。マーリンをフォローするようにトーマスが取った行動や言動は施設の介助者みたいで温かみを感じられました。また、トレバーがマーリンに対して言った「Nice to "SEE" you」というユーモアが好きです。「会えて嬉しい」と「見えた」を掛けて強調しているのですが、残念ながら吹替え版は表現が難しかったのか特に触れられませんでしたね…。

 アンドリュー・ブレナーが執筆した脚本も、これで最後という事実が残念です*10。個人的には彼が書くアメリカ編を観たかったなぁ。

 

 

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©Mattel

18. 『トラスティー・トランキー』『Trusty Trunky』 4/10

脚本: ベッキー・オーバートン

道徳: 異なる物事のやり方

 おもにオーバートンらにとって、トーマスは性格も性能もニュートラルな主人公なのでしょうか。。トーマスには個性的な人格があります。生意気な部分は時に傲慢で、からかい上手で、でも思いやりがあり、子供の共通点を多く持つ面白い性格です。にも拘らず、いい子ちゃんどころか、単に純粋で素朴な人として描かれています。これは今期の世界編の大多数に通じ、展開は箇条書きの説明臭くなり、退屈に感じさせます…。

 アシマが寝ている牛を邪魔しないように停車する場面は、異なる物事のやり方というテーマと動物が鉄道を動かしていると感じさせる部分に沿ってはいますが、物語に何の影響も及ぼさないので無駄になります。ただ単にインド文化の解説か世界観の設定を説明しているだけに過ぎません。別のエピソードで実行するのが理に適っている気がしますが、きっと『やまかじにきをつけろ』の二の舞になるかもしれませんね。ていうかなんでアシマは迂回しようとしないのでしょう。忙しい鉄道と説明されてるのに交通に混乱と遅れが生じませんか?

 インドのみならず実際の鉄道でゾウが貨客車の入換え作業に使われていたリアリズムが道徳に活きていた事と、ラジブが可愛かった事、トラスティー・トランキーと呼ばれるゾウに救助されるトーマスの反応が面白かったので、それほど悪くありませんが、キャラクターの性格を活かした物語の動き、それから動物が鉄道を動かしていると感じさせるなら牛や山羊の悪戯でポイントが切り替わるなど、独創性とアクションが必要に感じました。

 

 

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19. 『サイクロン・トーマス』『Cyclone Thomas』 3/10

脚本: ティム・ベイン

道徳: 嫉妬

 個人的に見所は『オーストラリアのトーマス』からトーマスの冗談が上手くなっている事と、オーブリーとエイデンの性格に多少違いがある事と、彼らがトーマスを信頼するきっかけになった事です。また、アイラもハロルドやジェレミーと違うところが見受けられたのが良かったです。

 アイラへの嫉妬とサイクロンは少し別の問題であるような気がします。物語の前半ではトーマスがドクター機関車に憧れを持っていたので、アイラが来るより前に患者を運ぼうと躍起になっていました。サイクロンは飛行機と機関車でどちらが環境に適すかであり*11「立ち向かう勇気」だけに焦点が充てられているように見えました。紐づけたい場合はサイクロンの直前に、アイラの邪魔をしているだけとトーマスに気づかせられていたら自然だった事でしょう。それでもサイクロンを切り抜ける場面はサブタイトルにも拘らず穴埋めのようにも感じてしまいます。倒木とか特に。

 

 

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20. 『やまかじにきをつけろ』『Banjo and the Bushfire』 3/10

脚本: ティム・ベイン

道徳: 動物の保護とそれに対する尊重

 今年の2月に起きた大規模な森林火災を観て私の評価が変わったでしょうか。いえ、あまり…。私は動物並びに自然が大好きで、特にタミカが言うように熱帯雨林はコアラを始めとする動物の家(ホーム)という見解を大前提に考えた上で、前後の露骨なテーマを批判しています。我々は虐待や無暗な狩り、人工物に関わる物や大自然でキャンプファイアをおっ始める人間から野生生物を守る事が出来ます。しかし、どんな状況でもそのすべてを救うのは皮肉にも現実的ではありません。純粋に、物語の内容にあるように「動物が暮らす大自然を大切に護ろう」ではダメだったのか…? という素朴な疑問。

 火災発生の原因はフィクションの物語を面白くし、メッセージを強固なものにするのならば、キャンピングカーと人間の存在を匂わせると効果的だったように思えます。

 タミカには大人しそうな人格があるように見受けられ、騒がしいトーマスに伝える適切な役割を持っていましたが、特に行動を起こさないので、あまり面白くは見えません。設定が備わっていないことを考えると、それ以前の問題かもしれませんが。後で触れますが、吹替え版では、彼女に独特のキャラ付けがされていましたね。

 大自然を守り動物を尊重することは子供たちを含めて我々全員が頭に入れておくべき道徳です。まあ、繰り返しになりますが機械と動物では水と油のような物なので、蒸気機関車を扱ったこのシリーズで環境保護を取り扱うのはやや偽善的に感じ、かなり難しいなと感じます。S3『ヘンリーのもり』も同じことが言えますが、それはもっと悪い状況です。

 

 

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21. 『ぶひんのなぞをさぐれ!』『The Case of the Puzzling Parts』 2/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 問題解決は友達と協力しよう

 良質な世界編が存在するのと同じように、ソドー編だからと言えどすべて質が良いとは限りません

 第21シリーズや長編で見られたニブチンなパクストンとシドニーのコンビが遂に主役級に回ります。私は2台の組み合わせが好きで、特に陽気なパクストンは認知症の介護者みたいでとても和みます。

 彼らの性格劇として空想シークエンスは面白かったですが、物語は紙一枚のようにペラペラでした。解決策が判った時点で、いくら未就学児番組とはいえギミックとエピソード全体が無意味になるだけでなく、ダートが彼の為の部品であると説明してはならないことが前提で「謎」の作り方が雑です。ネタをメモせず書いたような物です。また、シドニーが運んだ部品の設計は、デザイナーの怠惰と言えるかもしれません。物語にしろ部品の役割にしろ何らかの捻りが必要でした。

 

 

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22. 『トーマスとサルのきゅうでん』『Thomas and the Monkey Palace』 2/10

脚本: ベッキー・オーバートン

道徳: 相手が伝えようとしている事に注意を払おう

 個別記事では4点でしたが、何回か観返していて物語として面白くないと思ったので評価を下げました。2005年辺りのどこか懐かしい雰囲気を醸し出しています。良い意味でも悪い意味でも。

 観る前は"悪戯好きなサルが貨車に載って混乱を招く"というプロットに期待していましたが、実際に悪戯をしたのは、たった1匹が機関士の帽子を盗むだけでした*12。また、サルの宮殿ではなくココナッツに焦点を当てるのなら、熱帯地域にとってココナッツは水と同じくらい重要であることも示唆すべきでした。夏のソドー島の砂浜で子供たちが待つアイスクリームとは少しワケが違うので…。

 ラジブのキャラと、チャルバラ局長の叱り方と、知能の高いサルのジェスチャーから「相手が伝えようとしている事に注意を払う」というテーマと紐づけされているのが、私の好きな部分ですが、物語に関しては、フラットで創造性に欠け、ギミックは人為的で、キャラクターの役割も当たり障りなく、対象年齢に関係なく怠惰です。

 

 

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23. 『ちゅうごくのすいしゃ』『The Water Wheel』 1/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 水を大切にしよう

 このエピソードは信じられないほど怠惰です。SDGs第6目標「安全な水とトイレを世界中に」を取り入れておきながら、内容が特にありません。主に事実の解説をし、水をちょっと表示しただけでメッセージを伝えた気にならないでください。

 個別記事でも触れましたが、もう一度言いましょう。物語に充てられた焦点はです。竹がいかに頑丈で軽いか、竹でできた水車が本当に役に立つのか、ただそれだけを示しています。テーマである水に関する部分は1分も存在せず、それも唐突に触れられます。水のテーマと紐づけしたいなら、少なくとも空想シークエンスで竹ではなく、水車がなくなった場合に水田がどのような状態になるかに焦点を当てた方がまだ良かっただろうと考えられます。

 それでも私が点数にマイナスを付けない理由は、多かれ少なかれ、無垢な子を釘付けにさせる娯楽として工夫されていたことです。ハプニングのアニメーションは確かにリアリズムの欠片もありませんでしたが、音楽も相俟って面白おかしかったですね。

 

 

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24. 『トーマス、ボリウッドにいく』『Thomas Goes to Bollywood』 -3/10

脚本: ベッキー・オーバートン

道徳: ヒーローは映画の中だけじゃない

 『トラスティー・トランキー』と同じく、クライマックスに辿り着くまで特に作用も無く平坦な道のりを往きます。それよりも評価が低い理由は大きく分けて二つあります。一つは、機関車を中心に展開する必要性が感じられません。映画のセットを組み立てる場面はキャラ同士の面白い相互作用も無ければ、人だけでも出来ます…。同じく鉄道を扱った作品「チャギントン」さえ、面白くする工夫が施されていました。

 もう一つは、サングラスをかけた"ボリウッド俳優"の男が、解説役のアシマとなんら変わりの無いような、全く魅力的じゃないキャラクターであったからです。それどころか、アクションシーンの撮影は確実に安全だったように、ただ感じ悪いだけに描写されています。正論しか言ってないのに。そして強制的にトーマスを特別な気分に仕向けることによってプロットと道徳を綺麗に終わらせるように幕を閉じます。さてさて、危険も無いのにヒーローに関するメッセージを伝える意味とは? 強引な結末によって人気を奪われる俳優に同情します。

 トーマスが実際に映画とはどんなものかを知っているかどうかは置いといて、映画の予告編のような空想シークエンスと、現実に戻る瞬間だけは面白かったです。

 

 

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25. 『トーマスとパンダ』『Thomas in the Wild』 -8/10

脚本: デヴィー・ムーア

道徳: 一生懸命探していると思わぬ発見がある、動物の理解を深めよう

 これは私が観たブレナー期*13の中で最も当たり障りのないエピソードです。ここには娯楽的価値がありません。そして実際の自然ドキュメンタリーにも及びません。

 機関車は定められたレールの上でしか走る事が出来ないので、線路の外の、それも動物を竹林から見つけ出すのは無理があります。主役が車か飛行機なら、もしくはそのサポートがあれば上手く行くでしょう。それからプロットに何も追加しなかったせいで非常に都合のいい展開になってしまいます。SDGs要素も物語と殆ど関係が無く、事実を伝えることに依存しすぎて、まるでとって付けたようで残念です…。

しかし、それを国連の所為にする理由にはなりません。メッセージと関係ないスローテンポな話を創ったのは脚本家で、それを許した上層部もおかしなことです。フランチャイズを完全には把握していなかったのでしょうか。

 唯一面白かったのは、ジャイアントパンダの特徴を照らし合わせたトーマスのお茶目な空想のみ。また、レッサーパンダツキノワグマジャイアントパンダの親子は心がとろける程可愛かったです。

 

 …ところでトーマスが運んだ映画スタッフのリーダーは、デヴィッド・アッテンボローか、クリス・タラントが元ネタですか? 気のせいかもしれませんが、原語版の演技から、なんとなくそんな雰囲気を感じました(笑)

そうそう、より自然について知りたい場合はアッテンボローのドキュメンタリー作品をオススメします。洞察に富んでいて面白いですよ。

 

 

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26. 『あやまってよジェームス』『Apology Impossible』 -9/10

脚本: ベッキー・オーバートン

道徳: 謝罪

 ソドー編だからと言って全て質が良いとは限らないと言えるもう一つの例です。『TGR』のヴィニーとフィリップの対立のプロットポイントを主軸にした物語と言っていいでしょう。ただ、立ち向かわずに退行したので、それはほぼ変わらないと言っても過言ではありません。

 個別記事では、パンダ回よりは見応えがあると思って一つ上のマイナス7点を付けましたが、思い返してみると、これは本当にめちゃくちゃでした。2台のどちらが正しいか否かよりも、ジェームスの傲慢な人格は全力で誇張されており、まるでヴィニーみたいないじめっ子のように描かれています。彼は確かに傲慢ですがゴードンやスペンサーのような見下げる自惚れ屋とは全く異なります。最後の会話はより一層ひどく、謝罪が必要と感じさせるのではなく「言わせる」ことと、強制された謝罪によって最初から最後まで胸糞の悪さが際立っていました。あらゆる点で子供のための悪い教訓です。

 フィリップがそれを受け入れられたのは恐らく彼が"まだ世間を知らない子供"を模したキャラクターである為でしょう。フィリップが自分を貶す機関車に対して怒りを露わにするようになった事と、最終的に退行したものの自分の判断で最善策を選ぶなど精神的に少しばかり成長したのが窺えることが数少ない救いです。

 

 

【世界編について】

 今期の26話中13話の世界編を観て思った事を、ストーリーライン、キャラクター、情景に分けて述べました。

 

 [中国編]

[ストーリーライン]

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©Mattel

 中国の旅は特に視界に入る情報量が多くて面白かったですが、物語自体はどれも国とキャラクターの設定の良さを十分に引き出せず、平凡でした。物語の内容の大半の事はキャラクターに関係しないのでギミックをソドー島に持っていけばソドー島でも同じこと行えてしまうからです。悲しいことに、長編との連続性もありません。

 とはいえ、『トーマスとドラゴン』や『かしゃをとめるワザ』は地元の文化を物語に織り交ぜてトーマスを成長させたり、現地の機関車に輝く瞬間を与えたのは良かったです。同時に教育的で娯楽的価値もあるので私はこの2話が好きです。対して『トーマスとパンダ』は教育に押された上にプロットが空っぽでとても退屈でした。竹林と保護区の美しい情景には癒されましたが。情景と云えば、『ちゅうごくのすいしゃ』で、ここまでに出てきたロケーションを一度に見せてくれたのが楽しかったです。近道さえ無駄にしませんでした。

 足りない部分は、キャラクターの開発と、中国でしか起こり得ないような物語です。上手くいけば面白い話になる事でしょう。

 

[キャラクター]

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●ヨンバオ

 私が思っていた以上にヨンバオは親切で、親戚のお兄さんの様で、中国の文化を案内する中、「ワッ」と、たった2回驚かせるだけでも魅力がありました。性格の面では完璧で、賢く、我慢強く、的確なアドバイスはトーマスの助けとなり、良い模範です。

但し、完璧すぎる分、キャラクターは十分に発展していないように感じます。エドワードとは異なり、彼には何の弱点や制限も無いからです。レニアスに近いかも。また、ここまで映画以外にヒーローとして活躍する機会も無かったので、彼のボディが赤く塗られたバックストーリーを映像化して彼の魅力を広く知ってもらいたいです。

(※幸いな事に、第24シリーズでようやく映像化されます!)。楽しみ!!

 

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ホンメイ

 一方でホンメイは殆ど発展しませんでした。ナンバーワンで時々問題を起こすトーマスとの平等の役割を持ち、若くて生意気な性格を設定したからには、真面目な話、彼女の主観となるエピソードが一刻も早く必要です。

初登場の段階ではこれから成長していくのだろうと思っていたのに、後のエピソードでは、特定の台詞を言う為だけに存在しました。私としては彼女が失敗や活躍からキャラクターとして成長する様子をもっと観たいです。

 

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●アンアンとインロン

 初登場時は、真面目で成熟しているアニーとクララベルとの対比が特徴的で、キャラクターとして好きでした。彼女達よりも幼くて、活気があって悪戯っぽいところが他のエピソードでも垣間見えますが、時々、トーマスに話しかけるだけの一般的な役割になったりと、キャラとしての面白みが薄くて、私の中では五分五分です。

 緩衝器やネジ式連結器と云った英国のスタイルはともかく、どうしてアニーとクララベルやスリップコーチ、スカーロイ鉄道の客車のような顔面のデザインに合わせなかったのかが唯一の不満です。これも多様性の一環なのかな。

 

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●レイ

 ぽっと出のキャラクターでしたが、楽天的で誰かの役に立ちたいと思っている性格を持ちつつ、何かと不憫な有蓋車は他に居ないので、もっと彼を見たいと思いました。なぜ彼はヨンバオと親しいのか、どうして彼は貨車の中でも特別に扱われるのか、その理由が知りたいので、バックストーリーや普段の日常的なエピソードにもっと顔を出してほしいです。

 唯一の不満は英国のデザインと云う事だけです。

 

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●中国のディーゼル機関車

 映画だけのキャラクターにならなかったことは嬉しいですが、コービー、カーター、フェルナンドと並ぶ中で未だに名前が無いんですよね。いつか仲間たちとの絡みを見てみたいです。その時はキャラ開発も一緒に。

個別記事でモデル機の話をしたように、50~70年代を意識しているのならとんでもないオーパーツになりますが(苦笑)

 

 

[中国の情景と設定]

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©Mattel

 中国は今期で紹介された他の2つの国より景色に多様性があります。田舎の集落の建物、広場、長江の棚田、竹林のCGはとても力が入っていたように見えます。それだけでなく、その他、雪に覆われた山、近道、桃の並木などの情景は脚本チームが執筆を手掛けるのに十分でした。よくやったと思います。

 

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©Mattel

 線路周りのテクスチャはともかくとして、全体的に情景は美しかったです。桃並木は本当に映えますね。

 

 

[インド編]

[ストーリーライン]

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©Mattel

 インドでの冒険は、個人的にあまり楽しめませんでした。ベッキー・オーバートンが与えた現地のキャラクターの開発は優れており、キャラクターの興味深い性格を瞬時に把握することが出来ます。『トラスティー・トランキー』冒頭や『トラでトラブル』中盤で関係性を仄めかしているのが好きです。しかし、焦点をトーマスに当てすぎていて、対話や物語の進行するにあたってほとんど使用されず、影響を与えません。ラジブとシャンカールは僅かに輝きを得ましたが、それでも全体の8割はトーマスの為のトーマスによる自己解決でした。あと動物の話多すぎ。

 最大の問題は物語です。日常を描いているのは良い傾向ですが、ドキドキする瞬間もあまりなく、特に最初の2話は平坦な道のりを歩みました。ソドー島での日常を 「トーマスが同じ場所をぐるぐる回っているだけ」と表現するのなら、今期のインド編は異文化の周りをトーマスがぐるぐる見て回っているだけです。『トラスティー・トランキー』は説明に集中し過ぎで、『トーマス、ボリウッドにいく』はその前提を面白い物にせず、『トーマスとサルのきゅうでん』はサルの悪戯で起こりうる対立が不十分です。

 改善策は、個性的な現地のキャラクターの主役回を与えるべきだと思いました。可能性は多く存在します。ただ単に使ってないだけです。幸い、第23シリーズではラジブが、第24シリーズではシャンカールの回が控えています。特に後者は面白くなっていることを願っています。貴重な1話なので。

 

[キャラクター] 

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●ラジブ

 間違いなくインド編で最高のキャラクターです。王冠と云うアイデンティティがあり、高慢で成長する余地も多くありながら、友達への気配りも出来る純粋な一面も併せ持ちます。

 シャンカールとの対立も気になる中、彼はまた、ヌール・ジャハーンを見て感嘆する様子も見せました。それはほんの小さな瞬間でしたが、女性かつディーゼル機関車のキャラクターを男性の蒸気機関車が尊敬するという役割は、このシリーズにとって遥かに大きな意味を持ちます。また、その役割を持ったことが嬉しいです。

とにかく、彼がこれからエピソードを通して他の仲間との相互作用を繰り広げるのが待ちきれません。今期はそれを仄めかすか、トーマスとの対立が大半を占めていたので次はぜひ…!

 

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●アシマ

 楽しくて勤勉で、『TGR』での役割は魅力的でしたが、その状況を省くと、途端に中身の無い案内役のキャラクターになってしまったのが残念です。

振り返ってみると、彼女も同様に"女性キャラクターを増やす"目的から作られ、彼女の性格そのものは驚くほど面白みに欠けます。明るくて自信がある、最近の子供向け番組の女の子キャラの典型例です。今期では主に説明の為に使われ文字通りバックグラウンドに埋もれました。より魅力的にするには、S23のジーナみたいに何らかの開発が必要です。例えば、彼女が長編で「Be who you are」を提唱したバックボーンは何ですか?

 また、"通常は山岳鉄道で働いている"設定は何処へ行ったのでしょうか。オーストラリア編のタミカのように、必要なとき別々の場所で働くのはいけないことでしょうか。

 

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●ヌール・ジャハーン

 現在のシリーズでは珍しい大型のディーゼル機関車で、豪華寝台列車を牽くというインドの鉄道らしいアイデンティティに満ち溢れたキャラクターで、デザインを含めて好きです。装飾は豪華でも、ラジブと違って落ち着いていて決して自惚れない印象を与えましたので、脚本への汎用性は高いはずです。残念ながら今期はアシマ同様バックグラウンドに埋もれてしまいました。

例によってオーパーツかもしれませんが、真剣に彼女が主役のエピソードが必要です。彼女なら、ラジブやシャンカールとうまく連携できると思います。

 

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●シャンカール

 ヌール・ジャハーンと同様に現実的な視点を持っています。彼は見た目と共に陽気で夢見がちなラジブと対照的です。また、その冷静な態度と、動物の邪魔をさせようとしないところは、入換え用ディーゼル機関車に理に適った擬人化に思えます。CGモデルの流用と云う事を除けば彼もまた最高に面白いキャラクターであり、今後もラジブや他の仲間と連携して発展することを願っています。

 

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●チャルバラ局長

 女性の鉄道局長という物も興味深いですが、学校の低学年の先生のように、控えめな態度を取っているのが好きです。この時点ではまだ物語の関与や影響は殆ど無いので何とも言えません。

 

[インドの情景と設定]

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©Mattel

 劇中でも解説されているように、インド鉄道は世界で最も大規模な鉄道で、最も混雑している事で知られています。インド風の鉄道駅(ナップフォード駅と同じレイアウト)の周りをリカラーの蒸気機関車*14が忙しなく働く様子でそれを表しています。

 この大きなインド風の駅は、駅名票にマラヤーラム語ヒンディー語で「バルカラ」と書かれています。バルカラ駅はインドで2番目に忙しい駅として有名です。(実際のバルカラ駅は2車線の小さな駅ですが)。何処かで説明したと思いますが、Varkala Railway Stationとはバルカラ「の」鉄道駅であって、バルカラ鉄道ではありません。ここはアシマが言うように"インド鉄道"です。き●ゃのえほんwiki*訂正しちくり~

 このほかにも、田舎の畑やヤシの木が自生する場所など表現方法は多様で観ていて楽しいです。タージ・マハルやガルタ寺院といった実在するロケーションはマットペイントで描写されていました。

 

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©Mattel

 ヌール・ジャハーンのように近代の機関車が居るのに対して、周辺の住民は50年代半ばのファッションを着こなしているのは、一体どういう世界線なのでしょうか。確かにイアン・マキューはインタビューで「50~70年代に設定している」と言及しました。でも車両と企業は、そうではありません。カーリーや、カッシア、中国のディーゼル機関車、後に登場するダーシーも、その一例です。

このようにごちゃついた様子を見ると、クリストファー・オードリーが原作絵本がそうしたように、最早、徐々に現代の設定にシフトしてもバチは当たらないのではと、感じました。まあ、TVシリーズでは、劇中でスティーブン・ハットたちが「サザエさん」よろしく歳を重ねないので、そういう弊害もあるのかもしれませんが。

 

 

[オーストラリア編] 

[ストーリーライン]

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©Mattel

 トーマスがオーストラリアで過ごした時間の特徴は、中国やインドのように異文化を学びつつも仲間との絆を深めた事です。オーストラリア編には『オーストラリアのトーマス』→『サイクロン・トーマス』→『カンガルー・クリスマス』と、順番に繋がりがあり、最初はトーマスをからかってばかりいたオーブリーとエイデンが、彼の活躍する姿を見て次第に尊敬の目を向ける様子が描かれます*15。アイラもまた、トーマスを見下すようなことはありませんでしたが、橋から落ちそうになった小さな青い機関車の印象をサイクロンを経て変わった事と思います。

 キャラクターに関しても、物語の主観はトーマスにありましたが、余すことなくみんなが画面に長く映り、活躍しました。ただ一台、タミカを除いて。『やまかじにきをつけろ』の時間軸がどこにあるかは不明ですが、閑話休題と云いますか、茶色い大地からのいい気分転換になりました。

 オーストラリアでの旅は全体を通して他の2か国より面白かったですが、そんなオーストラリアでも、私が嫌いな事が一つあります。それは強力な2つの教訓を1つに纏めた余裕のないエピソードが2話存在した事です。『サイクロン・トーマス』は前半と後半で道徳がだいぶ異なり、詰め込み過ぎて性急に終わりました。何らかの機会を逃した『やまかじにきをつけろ』も同様です。内容を色々詰め込もうとすると、観終わった後にメッセージを伝えようとしても、あまり印象に残らないものです。

 ですが、ティム・ベインは国の事情と物語と道徳を結びつけるのが特に上手い事は賞賛に値します。他のシリーズでもこれが続くことを祈っています。

 

[キャラクター]

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●シェイン

 今期最高のキャラクターの一台です。ヨンバオがお兄さんならシェインは親戚の叔父さんみたいな感じ。オーストラリア人のステレオタイプだという批判もたびたび目にしますが、それが冗談で行われてる事と、友達のトーマスを歓迎したいが為なので特に問題視する必要は無いと思います。彼の性格は実際にかなり面白いです。相手を傷つけない冗談と誰もが楽しめる饒舌さは温かみがあり、十分に発達していることを示している中、時間にルーズだったり、自分が注目していること以外の情報が蚊帳の外だったり、より多くの伸び代を残しています。

本当に素敵なキャラクターだと思います。

 

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●タミカ

 対してタミカは、野生生物を尊重している事と大人しそうな印象以外に性格がなく、劇中では単に事実を伝えるだけでした。当たり障りのない役割では簡単でしょうけど、特徴的な見た目に反してびっくりするほど面白みに欠けています。制作チームにとって女性キャラクターの制作はそんなに難しい物なのでしょうか。

 普段どんな仕事をしているか、あるいは活躍、そして何故動物を守ろうという気に至ったのかなどバックボーンと主張が今一番欲しいキャラです。

あと、不釣り合いなスケールが残念です。:P

 

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●オーブリーとエイデン

 基本的にはアンアンとインロンと同じ役割を果たすキャラですが、彼らと違って賢く、トーマスやシェインが何か行動を起こした時に面白い相互作用が起こります。『サイクロン・トーマス』を観るに、2両でそれぞれ考え方に差異があり、オーブリーは堅実で現実的、エイデンは理想化で責任感を持っているように見受けられます。また、2両が言う冗談と真剣なときのギャップが好きです(笑)

 

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●アイラ

 あまり目立った性格ではありませんが、フライング・ドクターという実在する事業に基づいた役割は、広いアウトバックの孤立した場所に暮らす人々にとって重要という点で、そこにいる意味を持っています。責任が伴う仕事なので、ハロルドやジェレミーのように自慢したり見下す事も無く嫉妬を回避する方法と、自分の限界をよく理解しています。

思った以上に出番と活躍が多くてうれしかった半面、フライング・ドクターとしての彼女単独の活躍も観たかったです。

 

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●ジル保護官

 SDGsの第15目標の役割を担う形で登場しました。エピソードの内容はともかくとして、リーダーシップスキルを有した熱気のある性格が好きです。まあ、それ以外に言いたい事は思いつきません。

 

 

[オーストラリアの情景と設定]

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©Mattel

 アウトバックは、何マイルも続く広大な茶色い砂漠とまばらな緑で見事に再現されました。実際のオーストラリアの鉄道のように、ある一定の場所に混合軌間のレールが敷かれており、狭軌(ケープゲージ?)機関車の存在を匂わせています。肝心のキャラはいないけど。

しかし、ポツンと建つ駅の周辺に集落が全く見当たらないのが不思議です。お客さんはこの暑い砂漠の何処から来られたのでしょうか。

 

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©Mattel

 駅の設定は、他の2か国より詳細に設定されていました。キャサリンアデレード・リバー、ケアンズ、全て実在しますので、より"本物感"を味わう事が出来ます。(この作品において重要な点です)。パイン・ツリーはパインクリークが元ネタと思われます。他にもメルヴィル島、ダーウィン病院などの地名や施設も上がりました。これらも全て実在します。

 特にキャサリン駅は、正にホンモノみたいでした。プラットホームが地面と同じ高さにある地上駅で駅舎の形もそれに近いです。

全てのレイアウトがソドー島の建物のCGモデルの流用である事は気にしません。

 

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©Mattel

 アウトバックが3話続いた後のキュランダ熱帯雨林は爽快です。

実際には曲線の木製の橋がありますが、キュランダ高原鉄道(スカイレール)を思わせる情景は、トーマスが実際にキュランダを走っているようで素晴らしかったです。

 

 情景を作るための時間と費用がアニメーターにない事は十分に理解していますが、いつかはシドニーなど、都市部も見られるようになったらいいなと思います。だって…情景に飽きるじゃないですか。それにオーストラリアの魅力はアウトバック熱帯雨林が全てではないので。

 

 

[車両とか]

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 アンアンとインロン、レイ、オーブリーとエイデンを含み、モブ蒸気機関車と貨客車の類いは全て英国標準でした。モデリングをする余裕がない事は知っていますが、新たに誕生したトーマス・ユニバースのようで違和感がありました。トーマスの連結器を国によって変えるとかではだめなんでしょうか。ヨンバオやアシマ、シェインには英国基準の緩衝器と連結器が付いていますが、グレート・レイルウェイ・ショーの開催に合わせた設定だと思っていたのでちょっとした失望です。もしティアナン監督が居たら… 

いえ、なんでもないです。

 

 

[S22の世界編全体について]

 各国の文化を学ぶだけなら他の番組でも可能です。未知の体験を得る子供の視聴者をくぎ付けにさせる方法として、新たな番組を作って滑るより、トーマスのような昔から人気のあるキャラクターを使うと効果的なのは理解できます。しかし、一台の機関車が現地の機関車に案内してもらって単に観光して異文化を知って終わるだけでは、それは『Thomas & Friends』の皮を被ったドキュメンタリーです。残念な事に今期の取り組みの大半がそれ。

 教育の面では良いですが、娯楽の面では微妙でした。私が視聴前にオリジナリティの損失を恐れていたように、文化的な物を織り交ぜながら《トーマスと仲間たち》の、個性的で視聴層との共通が多い仲間たちと、ちょっぴり現実味のある鉄道らしさなど、この作品ならではの独自性を活かして、いつものように主役が失敗や活躍をしたり、機関車同士でいがみ合ったり協力し合ったりだとか、そういう日常的なエピソードが観たかったので、全体を通して説明っぽく退屈だったのはとても残念です。また、一気に3つの国からそれぞれ5台ずつなので制作期間が足りなかったのは容易に考えられますが、従来のシリーズのように少なくとも2話以上は、新しいキャラクターをフォーカスして輝かせるべきだったと思います。もちろん子供のための娯楽を大前提として、文化を織り込んだ冒険と一緒に中身にも力を入れてください。

(※その良い例が、今期の『オーストラリアのトーマス』や『トラでトラブル』です)。

 

 世界編は失敗…などと根底から否定するのは誰にでも出来ます。第22シリーズはまだBWBA期の最初のシリーズに過ぎず、世界編の殆どがフランチャイズの把握に追いついていない事を匂わせる書き方に感じられたので、現地キャラの主役回を創ったり、キャラクター作用に焦点を当てるなど、改善の余地は山ほどあります。

例えるなら原石と言いましょうか。世界編には『TGR』で脇役止まりだった各国のキャラクターを発展させ、ソドー島に引っ越さなくても詳細に描けるという利点があります。ここからシリーズを重ねて改善していくところは原石を磨いていき、上手く行けば殆どのソドー編のように、きっと立派なダイヤモンドになるだろうと考えられます*。正直なところ世界編の仲間たちの日常はもっと観たいので、そうなるよう端からふさぎ込まずに、私は、これからもマーケティングと制作チームを全力で応援するつもりでいます。

*その根拠の一つは、第23シリーズは今期の悪い特徴の一部が払拭されて、物語とキャラクター性は、より面白くなっていたからです。まだ出来る事や可能性は十分にあるので、マテルのトーマス制作チームには頑張っていただきたいところ。

 

 

【補足: オリジナリティに関する私の考え】

 はい、ここまで私は、何度かオリジナリティやリアリズムと云う単語を出しました。私はレビューで、まだ投稿していない第20シリーズまで、"リアリティ"を評価のうちに設けていました。現実主義の私が好きな物でもあり、絵本の特徴の一つでもあり、オードリー牧師は子供に嘘を吐くことが嫌いだったのが理由という事実を拾っています。

でも、それはあくまで原作絵本だけの特徴でした。知っての通り、原作とTV版はスタンスが違います。私はTVシリーズを長年見続けて、番組の人気の主な理由がリアリズムではない事に気づきました。それは主に人間味のある機関車の人格と、日常生活に関係する道徳によるものが大きいでしょう。

 また、多くのファンが今日日CGシリーズをリアリティが無いと批判しますが、実際には第3シリーズから既にありません。悪名高い『ヘンリーのもり』はオードリー牧師が述べたように鉄道に関するRule 55に反し*16、絵本で"ブルーベル鉄道で働いている"と言及されたステップニーは第4シリーズでトップハム・ハット卿の鉄道にいる架空の機関車として登場し、第5シリーズは貨車が吹っ飛びトードが絶えず暴走し監督の趣味で円い大岩が転がり、第6シリーズはジェットエンジンが機関車と一緒に線路の上を走り、第7シリーズでは像が飛んだり旅客列車が危険な線路を走りました。その間には魔法を取り扱った映画もありましたね。

なので、第21シリーズからのレビューでは、リアリティという評価基準は不要と判断して除去しました。これらを視野に入れると、ランプとブレーキ車の有無は些細な問題なので、それを求めるファンに対しイアン・マキューが皮肉った理由も納得できます。まあ、彼がインタビューで述べた事は話の前後に繋がりがあり、少なくとも現在も、実際の鉄道からヒントを得て設定している事が窺えます

そもそも現在の制作陣の殆どは鉄道ファンではありません。彼らに逐一求めるのは賢明ではないでしょう。(先ほどの私みたいに)。ただ、幸いな事に、ジャム・フィルドの広報課が要望を聞き入れる姿勢を見せたり、実際にカナダの鉄道を視察しに行くなど、作品の熱意と意気込みは感じられます。反映されるかどうかはわかりませんが、上手くいけばいいですね。

ここまでが、リアリズムに関する私の考えです。

 

 ここからは、少し違う視点から問題を捉えています。

私が危惧するオリジナリティとは、主に"キャラクター設計"が一番近い表現かもしれません。決してランボードが玩具っぽいという意味ではありません。このシリーズの殆どのプロットで機関車が行ったことを人間と置き換えた場合、全く同じになります。そしてそれはキャラクターが機関車である必要性を無意味にしてしまいます

 絵本や昔のシリーズを思い出してみてください。物語の殆どは鉄道の事故を中心に展開されます。そこに日常生活の対立と道徳を擬人化した機関車達に照らし合わせて、誰もが楽しめるように工夫されていました。機関車の暴走も、トンネルに閉じ込められるのも、凍りついたポイントも、教訓を伝えるのに必要不可欠でした。

 ソドー島が架空の島で、架空の鉄道だという事は、私は常に知っています。子供の時もです。でも、TVシリーズフランチャイズが最初に始めた事は、私たちに現実のイギリスに実際にあるかのように想起させました。少なくとも悪名高いヒット期(CGシリーズを含む)でも、一部のエピソードで同様の感覚を得られるように、このDNAは引き継がれていたと考えられます。

 

チャギントン」や「トレインズ」など、同じ鉄道を扱った子供向け番組がありますが、元からあるコンセプトは、トーマスとは大きく異なります。鉄道機関がさらに発展してクレーン等を動かす事も機関車で手伝えるようにアクションを起こすのが「チャギントン」、そもそも人間の子供が行う事を電車に置き換えたのが「トレインズ」です。私はこれらの作品にはトーマスと同じことを求める気は微塵もありません。

 新しいフォーマットで私が恐れていたのは、トーマスが、これらと大差がなくなることです。仮にそれに近しい物を目指しているなら、やりすぎだと、私は言うでしょう。一旦落ち着いて、作風の"多様性"も視野に入れてみませんか。

 

 

エドワードとヘンリー】

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 はい、この件については語らなければならないと思います。何故ならこの新しいフォーマットで最も古参ファンの間で物議を醸した件だからです。私もヘンリーがお気に入りの一つなので、ひどく動揺した事を覚えています。

 初報では主に、要約すると、女の子のニアとレベッカを最前線に置くために、代わりに男の子のエドワードとヘンリーはレギュラーから脱退することになったと、あります。男女平等に「数を均等にする」という理由だけを表に説明するなら、この件はまた別の性差別を呼び起こします(逆も然り)。

ティッドマス機関庫を原作のように拡張すれば平和的だったかもしれませんが、私にとって脱退の決め手となったポイントは、そこではないと考えています。

 

(少し口を尖らせて言います、不快に思われたら申し訳ありません)。

 スチーム・チームという2004年辺りに形成された概念を、番組の「顔」を象徴する要となるなら、子供の頭で固まりやすい個性のカタチと、その一人一人を主人公にするエピソードを必ず創らなければなりません。

生意気で悪戯好きのトーマス、威張り屋だけど頼れるゴードン、ウブで優しいパーシー、自惚れ屋で傲慢なジェームス、思いやりがあって時に自分本位なエミリー。

エドワードは勤勉で親切な心を持っていますが、古いという制限以外に大きな問題を起こすようなキャラではなく、平凡に近いので最前線に立つには少し難しいです。ヘンリーは基本行儀よく、でも不機嫌で、見栄張りで、傲慢で、皮肉屋で、自惚れ屋と、幅広く最も人間味のある性格を持っていて、物語の汎用性は高いはずですが、他の機関車みたいに固形の人格が無いので制作ではもっと難しくなります。また、自惚れと傲慢さを中心にするとジェームスと被り、不機嫌で皮肉屋な部分ではライバルのディーゼルと被り、多様性を必要とするマーケティング的にも弱いようです。

 この為か、S9からS16の間、エドワードには親切だけど新しい物事に不安を覚えたり失敗を隠そうとするキャラとして度々描かれました。S9『エドワードをすくえ』、S10『エドワードのしっぱい』、S11『エドワードのゆうびんはいたつ』、S14『エドワードとチャーリー』がその例です。そしてS12『Steady Eddie』や、S15『エドワードはヒーロー』では彼が何者であるかさえ上手く描かれませんでした。

 一方ヘンリーは、S7からS19まで、大きい車体だけど内気で優しくて、心配性による過度な神経質に描かれました。また、もっと遡ってS3からは自然を愛する部分*17も特徴の一つになりました。「Engine Roll Call」の歌詞さえ、"Henry, toots and huffs and puffs"という、韻を踏んだ擬音だけのパッとしない表現をされました*18。中身を言え中身を。

 

 以上の事から、彼らをリードするには制作側からすると難しかったのではないかと、容易に考えられます。視聴者がこれらを彼らの性格の一部と考えるのは構いませんが、主役回の為に無理やり元と正反対の固定的なキャラ付けをされてまでエドワードとヘンリーをスチーム・チームに残しておきたいでしょうか。私は二度と御免です。

※【補足】S17以降のエドワードと、S20, S21でのヘンリーの役割には、個人的に非常に満足しています。

 

 

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  実際には、エドワードの役割の減少は、それほど深刻な物ではありませんでした

はい、確かに彼は原作第1巻の第一の主人公であり、とても重要な存在です。しかし、特にエドワードが最も輝かしい瞬間は補助的な役割が殆どでした。『トーマスのはじめて物語』でさえ、その役割で、陰で支えるヒーローになりました。我々年上のファンは、彼らが永久に主人公でなければならないという考えに慣れ過ぎたのでしょう。

 そして作品をよく知る若い脚本家によって、何の変化をすることも無く魅力を引き出す事に成功しました。他の脇役と同じように画面に映る時間は極端に短くなると思いますが、今後も継続してサポート役として描かれるのであれば、彼の未来は安泰です。

デイジーだってレギュラーの一部ではないけど、定期的に強い個性の為に出演していますから。

 私としては、エドワードとフィリップの進展をもっと描いてほしいところだけど。

 

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 ヘンリーもまた、原作1巻を飾る主人公の一人でしたが、改革に至るまで多くの恩恵を授かったエドワードとは異なり、ヴィカーズタウン機関庫に移った理由は今日も明かされず、台詞は一言二言ずつで、出番も大してありませんでした。まあ、オードリー牧師が18年間彼のエピソードを書かなかった事を考えると妥当ではあるんですけども。

 スチーム・チームの牢獄から解放された事で、仮に、"本来の人格"で描くために一時的に出番を減らしているのだとすれば、いくらでも待ちますが、少なくともロージー*19と同じ機関庫でどのように過ごしているのか、まずはその一日の流れが観たいです。

 まあとにかく出番の少なさより、理由が描かれないどころか言及さえ無いことが個人的にとても残念です。少なくとも、エピソードの振り返りで触れられているので、完全に忘れられているわけではないことは確かです。

 

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 トビーはまだ「Engine Roll Call」の歌詞に居座っているように、重要な存在であることに間違いはないでしょうけれど、元からスチーム・チームに居るようで居ないような物ですので、その辺の扱いはさほど気になりません。そして彼もまた、サポート役に適しています。ヘンリエッタが居ない時を除いて。

 

 

【新しいレギュラーキャラクター】

 第8シリーズでエミリーがレギュラー入りした時も、暫く物議が醸されましたが、少なくとも第7シリーズでは彼女を追加する前に、性格を伸ばすために幾つかの時間が設けられました。まあ、第8シリーズから急に性格が変化しましたけどね…。上述のエドワードとヘンリーの如く。しかし女の子を表に出すキャラクターとしての目的は確立しました。

 でも、ニアと、特にレベッカは視聴者に事前に親しみを持たせる時間すらなく、初登場の時点でレギュラーとして参加しました。急いで投入されたので受け入れがたい印象を持っていた人も多く見ました。(※ニアがケニア出身だからと言って非難する人は自分を人種差別者と自己紹介しているような物です)。

さて、全て観終わった後、私は次のように2台を評価しました。

 

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●ニア

 彼女は間違いなくブレナー期で最高の女性キャラクターだと私は宣言します。彼女の個性豊かな性格については、いずれやるであろう長編『BWBA』のレビューの時に語ろうと思いますが、バックボーンを持つ、非常に味わい深いキャラです。賢くて親切ですが、エドワードのような成熟かつ完成された人格とは大幅に異なります。(但し、賢い女性キャラを確立するために元々賢い男性キャラを馬鹿に見せる事だけは勘弁して頂きたいです)*20。そして彼女にも弱点が描写されました。識字と、自分から助けを求められなかった事です。それは一話で解決しましたが、彼女のバックボーンを残しているので、根にある気の落ち込みはまだどこかで使えると思います。

 移民者の主人公格ということで非常に大きな意味を持っていると確信していますが、その恩恵があった回はたった1話だけでした。私は長編を見た後、故郷とは違うソドー島での生活を通じて多くの事を学ぶ機会が与えられるだろうと思っていたので、それはほんの少しの失望でした。しかも第23シリーズでさえその機会を肝心な所で逃しています。でも、長編で見せた面白さは徐々に短編で見せるようになって言ったので、第24シリーズでもっと経験を重ねて、いっぱい友達を作って、ポジティブな活躍をすることを心から願っています。

 

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レベッカ

 そして第二の最高の女性キャラクターが出ました。自分の中ではウィフ程ではありませんが、お気に入りのキャラクターとなりました。(笑)

 ヘンリーが脱退した事で、気弱なキャラ枠が入ると思ったら大間違い。レベッカは自尊心が無くて恥ずかしがり屋ですが、気弱とは正反対にとてもポジティブです。仲間と同じレベルになるよう励もうとしたり、誰よりも前向きに正直に何でも楽しもうとしたり、非常に多くのポイントを持っています。ここで語りつくせないくらい、本当に素晴らしいキャラクターだと思います。また、ブレーキをかけながら滑るというそそっかしさは、モデルになった機関車の実際の欠陥に基づいているようで、リアリズムを兼ね備えた擬人化はまだ設定され続けていることがわかります。

 また、黄色はジェンダーニュートラルカラーとして知られ、男子も女子も魅かれる色です。マーケティングにも目立ち、レベッカの強い個性も含めてフランチャイズの貢献を果たすだろうと思います。

 そんなレベッカの性格を十分に扱った回は今期2話ありました。次のシリーズでは3~4話あったと思います。しかし、まだまだ成長のし甲斐がある、伸び代のある個性です。既にゴードンと特別仲が良いところが見受けられます。ゴードンの受け入れ方はチョロかったかもしれませんが、ライバル関係にならなくて良かったと感じています。相互作用を繰り広げながら長期的なスパンで仲間と馴染んでいく様子を見守りたい所存です。

 

 …といった具合で、私はニアとレベッカの導入も、エドワードとヘンリーの脱退も快く受け取る事が出来ました。ですが、誤解しないでください。ニアとレベッカは決してエドワードとヘンリーの代わりをするものではなく、確立したキャラであることを!

 

 

【その他のキャラクター】

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●マーリン

 既に長編でメインの役割と大きな活躍を果たした彼ですが、私から見るとまだ多くの可能性を残しています。今期の扱いは、ソドー島のキャラクターと絡ませるというよりかは、彼の周りがその奇妙な存在に驚くか、何らかの影響を与えるだけでしたので、あくまでも主観的な役割ではありませんでした。個人的には…日常的な主観の話と絡ませる話どちらも欲しています。

煙突から出る大量の蒸気と共に発する「見えないスイッチ、オ~ン!」という台詞に周りが困惑するのは面白かったですが、マーリンは普段どおりでした。

 前期や今期はおろか第23シリーズ、第24シリーズと重ねても未だに製鋼所の仲間たちを主題とした短編が制作されていない事は残念です。彼らの個性は70分の長編1本では不十分です。(幸いベレスフォードは出ましたが、物語の要ではありません)。

 

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●デクスター

 どうか…どうか一発屋にしないであげてください。私から言えるのはそれだけです。Mobile Classroomという語録だけ見た時は移動式の教室になるキャラクターなのだろうと勝手に思っていたので、定置式になった事には驚きました。

学校が修理された暁には、彼の教室としての役割が無くなると思うので、そのときはぜひ再び車輪を与えて文字通り移動式教室にして再登場してほしいところです。それに彼の原語版声優は素晴らしいです。

 また、アンアンとインロンとは違って、灰色の顔が気にならないのは、本来ならアニーとクララベルの平面的な顔がある箇所ではないからかもしれません。

 

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○シリル

 彼については殆ど気にしていませんが、単なるファンサービスではなく、本当に必要な再登場だったと思います。フォグホーンを使わずシリルに役割をしてもらうと言って以降、濃霧のエピソードでは彼自身はおろか、彼の存在をにおわす事も無かったので、長い間連続性が見られなかったのは少し寂しい物がありました。(もちろん他の未登場キャラクターにも言えます)。

実際には、濃霧に必要不可欠な信号雷管に、最も関連性の高い人物を当て嵌めただけに過ぎません。制作側がまだ過去の財産や鉄道的な要素を捨てていない事は良い番組の証と言えるでしょう。

 最初は、終始しかめっ面の陰気なお爺さんに見えたのですが、実際には眉が垂れ下がっていて、目はパッチリで、模型期のように、どこか優しさを感じるデザインだったことに気付いた時は、とても安心しました。よく見たら可愛いじゃないか。

 

 

【新しいフォーマットについて】

[オープニング]

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©Mattel

 これについて話す事は殆どありません。イアン・マキューは従来のファン(主に子供たち)が不満に思うことを考慮した上の決断だったようですが、2005年の時点で番組を象徴するオープニングテーマが既に失われているので、特に何も…。

オープニングを初めて観たときに、万里の長城を走る気なのかと危惧していたので、そうならなくて本当に良かったと思います。

 

[ストーリーテラーと教訓のコーナー]

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©Mattel

 トーマスは子供たちに話しているようですが、どちらかというと、親向けのコーナーかなと思います。子供が理解できなかった場合や何か日常の出来事でつまずいた時には何らかの形で役に立つはずです。

 脚本家が伝えようとしているテーマが判りやすくなった半面、全体のペーシングを失速させてしまうので、続けて視聴する時にダレてしまいます。まあ急ぎ過ぎるのも困りますが。

辞典を纏めるはずの"きし●のえほんwiki*"編集者の連中や、私の記事にコメントされる方の一部が理解していないのを見るに、大半の人は見ていないのだろうと感じます。また、子供も興味が無くそこだけ飛ばすという話もよく耳にします。原因はキャラ同士の対話や回想以外に動きが無いからかもしれません。

 また、第22シリーズでは道徳と紐づけされていないエピソードが多く存在しました。加えて有害な道徳が露骨に晒される場合、全体が非難の対象となる恐れがあります。物語の脚本を考えつつ、トーマスが伝える子供に役立つ教訓の台本も書かなくてはならないので、少し難しそうですね。何でも教育に専念すると、滑稽話が書けなくなる弊害が生じるのではないかと少し心配していますが、脚本家が上手いこと纏めてくれることを祈ります。

 

[トーマスによるナレーション]

 マーク・モラガンとジョン・カビラのナレーションが恋しいです。私にとって、彼らはシリーズ史上最高のナレーターでした*21

私情はさておき、私は何故現在トーマスがやっているかを理解しているつもりです。だけど、前にも言ったようにトーマスが世界編で冒険する話にあって不自然ではないですが、それ以外の物語にはあまり適さないように見えます。UK版『エドワードのやすむばしょ』で「見せる、伝えない」の手法が成功したように、最近のCGシリーズにはもはや不要にすら思います。

 

[7分の制約]

 私の意見ではメリットとデメリットの両方を兼ねています。7分と云う事はつまり第8シリーズから第12シリーズまでの長さに戻りました。短くすれば無駄な場面を流さずストーリーテリングに集中することが出来ます。但し、脚本チームが「ペースを早くする」というフォーマットを十分に理解していなければ、意味がありません。詰め込もうとすれば時間に追われ、書いてほしい部分が消えます。

 

[空想シークエンス]

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第21シリーズ『フィリップは68ばん』より

 空想シーンという演出自体は、全話に用意されていることを除けば、これが初めてではありません。過去のシリーズでも一部のエピソードで設けられています。S21『フィリップは68ばん』が記憶に新しいですね。その回では、67台のフィリップや、68の数字を描くいたずら貨車たち、フィリップの前を横切って行く数字たちが彼の空想または幻覚としてまるで現実のように随所に現れました。

それ以前で具体的には、S3『パーシーのマフラー』、S10『ベタベタトーマス』、S19『やまのむこうがわ』、『エミリーとケイトリン』、他殆どの長編作品など。

 

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©Mattel

 私は空想シークエンスが大好きです。キャラクターたちの想像力を手に取るように判る表現方法がある今、遥かに創造性が増します。これぞまさに「見せる、伝えない」手法と言えるのではないでしょうか。

空想上なら子供たちが求めるアクションも見れます。第22シリーズでは特に空想と現実とでしっかりメリハリを付けているのでこれには意味があります。

 数々ある空想の内、表現方法として好きだったのは、レベッカの観方がよくわかる『おくれてないけどこんらん』と、周囲から聞いたままの特徴を反映した『トーマスとパンダ』です。

 そしてその使い方が最も上手だったのはマイケル・ホワイトです。『カラフルなきかんしゃたち』では感情移入しやすいアニメーション展開でジェームスを成長させ、『かしゃをさがせゲーム』では空想によってビルとベンにドラマ性を追加させました。(彼はまた、7分の制約に収まる物語を書くのもお上手でした)。

そうそう、忘れてはいけません。『ニアとすうじ』も、やや理に適っています。

 

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©Mattel

 ただし、『かしゃをとめるワザ』や『あやまってよジェームス』のように次に何が起こるかを想像させて物語をつまらなくさせたり、『やまかじにきをつけろ』や『トーマスとはこぶね』のように何処に空想を設けるかで苦しんだり、『サイクロン・トーマス』のようにそこに時間を費やしてプロットを押してしまう例、そして『ちゅうごくのすいしゃ』や『トーマスとサルのきゅうでん』などプロットに何も影響しない部分を見るに、なにも全話に必要だったとは思えません。それでもやりたいなら、殆どは脚本に関係するので調整が必要です。

 

[連結の演出]

 ペーシングが早くなり、テンポの良さを助長するのが目的なのか、場面転換をするときに連結する独特の演出が入ります。これまでのシリーズでは、何らかの会話をしながら連結する事が多かったので、列車がオマケか、思考停止を象徴するかのようで個人的にあまり好きではありません。

空想と違って全話にその演出がない事が救いですが、今後も動物みたいに多用しない事を祈ります。

 

[これらについての最終的な考え]

 今期からの取り組みは非常に著しい変化となったので、古参の中では受け入れがたい人が多かった印象です。受け入れようとする人は慣れるまで時間がかかると思います。実は、私も記事にしていないだけで、当初はひどく悩んでいました。

 繰り返しになりますが、未来の子供たちに向けた番組構成の変化自体は大して悪い事ではありません。決め付けや憎しみは本質を見失います*22。マテルの性急なやり方は褒められたものではありませんし、貴方が嫌いだと思うなら無理にとは言いませんが、制作側がコアな部分を大事にしたり、エピソードから何が需要があるかをまだ考慮している事が伝わるので、私たちは、その心配する必要は無いと思います。

 結局、リブート(再始動)というより、ここまで築き上げてきたものを引き継いで、新たな一ページが更新されただけに過ぎませんでした。展開もペーシングと、カートゥーンな演出を除けば、以前と大して変わっていなかったので、殆どの物事は、すんなり受け入れる事が出来ました。

 

 

SDGsの取り入れ】

 今期では国際連合との共同制作として、彼らが掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の17つの内6つの目標が、26話中9話に取り入れられています。

 よくマテルを批判する際に諸共叩かれる様子を見ますが、企画を提案しに話を持ち出したのはマテルです。SDGsが取り入れられたエピソードがつまらなかった場合は、それを書いた脚本家か、許諾した上層部に問題があります。国連自体は企画の許可とSDGsテーマの提供、宣伝等の提案をしているだけに過ぎないと思われます。

以下の話は、SDGsが今期どう活かされていたかを私の観点で評価しました。

 

[#4. 質の高い教育をみんなに]

 具体的にどのエピソードに取り入れられていたかは判りませんが、今期全体は教育に特化していたと思います。その分娯楽としてはイマイチでしたが。例えば『かしゃをさがせゲーム』『サムソンとはなび』『ロージーはあかい』『オーストラリアのトーマス』など私が高評価に挙げた物やは、脚本家の意図に拘わらず、質が高い教育だったと私は思います。『トーマスとサルのきゅうでん』のテーマさえ良かったと感じています。質が悪いのは、最後のほんの1話だけです。

 また、この目標に関する事実は国連の動画でトーマスを通して子どもたちに伝えた事が大きいかもしれません。

 

[#5. ジェンダー平等を実現しよう]

 先ほども言いましたが、彼らは機械なので、性自認には人間より乏しいと思います。活躍の技量も性能によるし。まあ、番組としては上手く成り立ちました。特に『おくれてないけどこんらん』や、『レベッカはとくべつ』とか。

 ジェンダー平等と云えば、アイラを担当する医者がクレアという女性だったのは、私の中でポイントが高いです。(喋りませんでしたが)。かつてのフィクションでは医師が男、看護師が女という設定が多い印象でしたので見事に覆しました。新しいキャラクターのボディカラーに関しても「男は青」と「女はピンク」の固定観念を感じさせる事さえもありませんでした。良かったです。

 男女比の数による平等は、新しく増やすだけでなく、過去に出た女性キャラを戻して発展させるのが、より理に適っていると思います。メディアで一切取り上げられませんがが、個性的な人格を持つ女性キャラクターは実は過去に沢山存在します。

 

[#6. 安全な水とトイレを世界中に]

 この目標は、水と石炭を使うトーマス達にとってかなりマッチした目標だと思います。しかし、今期、主にそれが重点に置かれたエピソードは恐らく『ちゅうごくのすいしゃ』だけです。しかもテーマと物語が結びついていない酷い物でした。せっかくの大規模企画なのに…。

 水に関するメッセージなら、第23シリーズの『バルジーだいさくせん!』*23の方がまだ理に適っています。でも、不思議な事に、第23シリーズには国連が関与していません。

 

[#11. 住み続けられるまちづくりを]

 貧困層(ホームレス)のニアをティッドマス機関庫に住ませるという点で役に立ったと思いますが、これはエピソードで使われたというよりも、国連の動画でトーマスを通して子どもたちに伝えられたことの方が大きい気がします。

 

[#12. つくる責任つかう責任]

 この目標も、トーマスシリーズに非常に適していると思います。廃棄物となり果てていた仲間を役に立つように復元したり、スクラップの危機から救うテーマを取り扱った作品はこれまで何度も描写されてきましたが、『ダックのがっこう』を通じて改めて新規層にメッセージを伝えられて良かったです。該当のエピソードも上手く纏められていました。

そしてゴミを正しく分別するのが仕事のウィフとスクラフ、スクラップ置き場で再利用を得意とするレッジも既にキャラクターとして数年前から存在します。動画で彼らを紹介してくれた時、心から嬉しかったです。

 

[#15. 陸の豊かさも守ろう]

 動画では森林を大きく取り上げていますが、『やまかじにきをつけろ』さえ、エピソードのテーマは殆ど動物に焦点が充てられていました。陸域生態系の保護については保護官ジルがその役割を担いました。『トーマスとパンダ』でも示唆する描写はありましたが、個人的に全く記憶に残っていません。

 保護種の密猟の取り締まりは『トラでトラブル』で深く関わっていた上、面白かったので強く印象に残っています。

 

 

【アニメーション】

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©Mattel

 全体を通してスピード感があり、SEも影響しているのか、以前までに感じられた、一つ一つの動きの重量感は消えていました。それが良いか悪いかは別として、新しいフォーマットであるペーシングに集中しすぎたように感じます。

それを除けば、全体的にアニメーションの品質は良かったと思います。意図的か偶然か判りかねますが、『かしゃをさがせゲーム』がS2『ふたごのビルとベン』の対比となっているように、ビルとベンが縦横無尽にナップフォード駅を走り回る場面が強く印象に残っています。

 

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©Mattel

 個人的にはそんなに気になりませんが、ソドー島の地面のテクスチャは前期に比べて良くなったような気がします。S15~20前半まで程リアルではありませんが、だいぶ立体的に見えます。とにかくフォーマットに合わせて新しい情景をいくつも作成する必要があるので、詳細を設定する時間とコストがジャム・フィルド・トロントに無いのは明白です。それも2年制作を毎年続けて行わなければなりませんから。テクスチャの問題は世界編も含めて将来的に良くなることを願います。

 

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©Mattel

  前期に引き続き、車両キャラクターは身振りをしています。これは永久的な物のようですね。第21シリーズに比べると、傾きも増えました。「チャギントン」や「カーズ」のようだという声もちらほらありますが、ウィルソン達のように何もないところで跳ねたり、マックィーンたちのように大振りしたり体全体を柔軟に曲げることも無いので、それはただ単に一般的なカートゥーンの演出になっただけです。

 私はこの元気すぎる演出が全く好きではありませんし、純粋に嫌いなファンを責める気もありません。だけど、とりあえず気にしない事にしました。少なくとも表情より視覚的に感情を認知しやすいといった意味では利点があります。

 

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 しかし、機関車の身振りによって鉄道員が軽率に扱われるコメディ風の演出なら話は別です。リアリズムは関係なく、これまでのシリーズの描写と傾向を視野に入れると、こういうのは極力避けてほしいと感じます…。SEで誤魔化してるけど…。

 

 

【音楽】

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 暴走なりパニックなり、随所でシチュエーションによく合う盛り上がる音楽が流れていた筈ですが、全体を思い返すと、びっくりするほど記憶に何も残っていません。エドウェルチ楽曲のS8-12と比べ物にならないドラマチックな音楽がそこに明らかにありました。しかし第22シリーズの音楽と云えばと尋ねられると、つい首をひねってしまいそうです。各国の風景と一致する音楽や象徴的な音楽があったはずなのに、ウェルチ楽曲より印象が少ないです。

 

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 しかし、誤解しないでください。盛り上がる場面では感情移入しやすい素晴らしい音楽が流れています。いくつかはオープニングテーマのアレンジが入っていますがメロディラインが隠れ掴みづらいので、その時はかっこいいけど、記憶に残らないだけです。

例を挙げるとしたら、『ポケットモンスター ソード/シールド』のジムリーダー戦BGMみたいな。バトル中は画面の雰囲気も相俟って盛り上がるけど、単体で聴く分には酷い。特にEDMみたいなやつは…。

 

 

ボイスキャスト

(※ここでは公平を期すため、敬称略とします)。 

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 全体として、UK版と吹替え版の声優はいつも通り非常に良いです。一方US版でトーマス役を務めるジョセフ・メイは…もっと悪く平坦に聴こえます…。状況を考えず台本をただ読んでるだけのような。

 

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 注目すべきキャストが何人か居ます。その内の一人で、私の中で超がつくほど最高に素晴らしかったと思うのが、レベッカとアイラを演じるレイチェル・ミラーです。彼女の明るい性格と幼い人格に非常にマッチし、ちょっとした悪ふざけの部分も良かったです。そしてアイラのオージー訛りはまるで本物のように聴こえました。

 

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 もう一つはビルとベンです。彼らのUK/US版はジョナサン・ブロードベントから、それぞれフィリップ、モンティ兼役のラスマス・ハーディカーと、ウィンストン他多数兼役のマット・ウィルキンソンに変更されました。原語版ではバッシュとダッシュやマックスとモンティを除いて双子キャラは元々一人二役でしたが、区別をつきやすくする為か、後から別々の声優になる傾向にあります。

 ブロードベントの双子も好きでしたが、彼らの新しい声はフィリップらとはまた違ったニュアンスの本物の少年の様で、素晴らしかったです。

 また、吹替え版にも同じことが言えます。演じられているのは下屋則子のままですが、S19までのシリーズに比べてより一層ハマって聴こえました。更に、昔のシリーズのように*24、声の発声に区別が付けられていました。下屋氏が今期で演じられたビルは年長の少年みたいにハスキーで、ベンは丸っこい感じで可愛げがあります。各々の個性を引き出すように工夫されてるのが素晴らしい。

 

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 吹替え版のシャンカールとラジブは、私にとってちょっとした失望です。この方々はキャラクターに合った声音の持ち主である事は確かですが、順にビクターとオリバーと全く変わらないように聴こえました。

(※幸いにも、第23シリーズでは、2名とも上手くハマっていました!)

 

 

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 そうそう、ここからは台本の話になるので声優さんに直接関係は無いのですが、吹替え版では台詞で独特なキャラ付けをされていましたよね。吹替え版オリジナルのべらんめぇ口調のダートや、何故か敬語で話すパクストンのような物です。

 レベッカ初登場回が日本で放送された時、語尾に「~です」「~なのです」が付くという、その独特なキャラ付けに対し、S22からの取り組みに対する文句と一緒に批判する形で「トーマスに萌えキャラは必要ない」という旨の意見が飛び交っていました。

私はその意見自体には賛成ですが、レベッカのその口調は「萌え」を意図するものではないと感じました。彼女の敬語口調の妙な使い方は、原語版を観れば彼女のまだ未熟で世間を知らない子供を模したキャラクター性と遠慮がちで謙遜的な態度を表しているのだろうと簡単に捉えられます。

 

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第21シリーズ『あいだにはいったエミリー』より

それに、同じような言葉遣いをする男性キャラクターの例としてドナルドとダグラスが随分前から存在します。こちらはスコットランドの独特な訛りを妙な敬語に置き換えているだけですが、当然こちらも「萌え」を意図していないものと思われます*25

 

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 口調に驚いたもう一つの例はタミカです。彼女はボーイッシュで真にさばさばした口調で喋り、大人しさと姉御肌を強調させて、中身の無さを上手く隠しました。このような喋り方の女性キャラは、これまでのシリーズには無かったのでとても新鮮でした。もしかしたら本国よりもジェンダーの取り組みに熱心かも(?)。

 

 声優の話に戻りますと、今回で初参加となるレベッカ役の内山茉莉も、ホンメイとタミカを務めた中井美琴も、キャラの特徴をよく理解した上で演じられていて本当に素晴らしかったです。

 

 

 

【最終的な考え】

 私にとって面白くないエピソードが10話ほど存在するものの、全体を観れば、S13-16程の退屈さは無く、それらみたいに馬鹿のように振る舞う事も少なければトーマスたちはきちんと学びながら成長しく様が見られ、世界の文化を取り入れた事もあって常に独創的で新鮮な体験と視覚情報を得られました。但し、教訓が独り歩きして物語を台無しにした例もあったのは事実。結果として私の意見では、平均より少し上であり、最高でなければ最悪でもありませんでした。

 演出で印象がガラリと変わったり、ストーリーテリングが一部ぎこちなかったり、以前のシリーズより面白くない部分は確かにありましたが、一部のファンが最悪のシリーズだと主張する理由がよく判りません。非常に悪いエピソードもある中、同じくらい非常に良いエピソードがありました。私が高評価したものの殆どは、古きにしろ新しきにしろ触れられていなかったキャラクター単体と、キャラクター同士の相互作用を最高の状態で掘り下げられました。その中には我々が心配していたエドワード、ロージー、ニア、レベッカも含まれています。

また、悪い部分の殆どはS23とS24で改善されそうなので、あまり心配していません。

 変化に関してはまずまず纏れられたと思いますが、今期最大の特徴であるSDGsの取り組み実験に関しては、『トラでトラブル』と『ダックのがっこう』を除いて、殆どが仄めかされる程度だったのが、とても残念です。本当に。

 

 

全体を通した面白さ: ☆☆

創造性: ☆☆☆

道徳観: ☆☆

CG技術: ☆☆

美術: ☆

音楽: ☆

声優(UK): ☆☆☆

声優(US): ☆

声優(JP): ☆☆

 

シリーズ全体評価: 6.5/10

 

   ☆   ☆   ☆

 

 第22シリーズが日本で全て放送されたので、やる気があるうちにのんびり書こうとしていたら、第24シリーズの英米公開が間近に迫ってきて、それを観る前に、(私から見れば)課題を多く残したこのシリーズの纏めを急いで書き上げました。(P&TIもTLRCDのクリスマス回も滞らせて申し訳ありません)。

さて、気づけばもう5月なんですよね。あっという間に2020年の上半期が過ぎてしまいそうです。第2シリーズレビューも、まだ書き終っていないし、いつになることやら。もうしばらく時間がかかりそうです。今年中にS19まで纏めるのは、やはり厳しいか…

そうそう、最近、口琴という小さな楽器にハマり始めました。外出の自粛期間中ずっとビヨビヨ遊んでます。前歯さえあれば誰でも演奏でき、持ち運びも簡単でコストも安くてストレス発散になるのでお勧めです。

…とまあブロガーの一人として10年ぶりに日記らしい事も書いてみたけど、なんだか懐かしいですね。

では。

 

※この記事に添付したスクリーンショット著作権は全てマテル社に帰属します。

*1:ファラルが現在取り組んでいないことが悲しいです!!

*2:たとえば前期のビッグ・ミッキーとか。強制された出番は私にとって不快極まりない演出でした。

*3:Eテレで音声切り替えを行うと、S22とS23では副音声でUS版が流れます。また、このエピソードのエドワードはケリー・シェイルの音声のままになっています。

*4:US版ではアメリカ英語

*5:といってもまだ私にとってS7『ピーター・サムとティールーム』は最高の一つですが。

*6:『バイバイ、ジョージ!』など模型期でさえリアリズムに欠けたコメディ演出は何度もありました。

*7:吹替え版では最後の台詞は「僕はイヤ」となっていますが、原語版は「I can!」でした。

*8:CG版の1シリーズの制作には脚本と音楽とアニメーション含めておおよそ2年かかります。

*9:私自身も発達障害で、支援施設では変化に対して癇癪を起こして周りに当たる人をよく見ました。

*10:ブレナー本人はS21制作の時点で、自閉症がテーマのアニメ「パブロ」や、長期にわたって手掛けようとしていたドナ・ウィリアムズ著作「Nobody Nowhere」を始めとした自閉症のドキュメンタリー制作の取り組みに熱心で追及する為とのことです。

*11:どちらも適しませんが。

*12:充分リアリティはありますが。

*13:アンドリュー・ブレナーがヘッドライターを務めた時期、即ちS17~23を差します。

*14:私はこれらが嫌いです。

*15:第23シリーズでは著しく懐いています。

*16:S2『けむしになったパーシー』や、以降の他のエピソードもRule 55に反しています。

*17:オードリー牧師がリアリズムの欠陥よりも強く反発した部分。

*18:直訳すると、"ヘンリー! ポッポー! シュッシュッポッポッ!"になります。わけわかめ

*19:彼女もまたニュートラルなキャラクターでつかみどころがありません。

*20:『ニアとすうじ』冒頭。

*21:前者は今期でデクスターを演じました。

*22:そんな教訓、過去のトーマスにも有りましたよね。

*23:欲張りがテーマでしたが。

*24:当時は別の声優でしたが。

*25:また、これらの口調が子供の教育によくないという点では、公平を期すと、妙な「~です」という語尾を使うキャラクターは子供向け番組ではそれほど珍しい物ではありません。