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喋りたがりの きかんしゃトーマスオタクによる雑記

きかんしゃトーマス 第20シリーズレビュー第4回

※この記事にはネタバレが含まれています。

また、記事の内容は個人的な意見であり、他者の代表ではありません。

 

 

 

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S20 E07『Diesel and the Ducklings』『ディーゼルのひみつ』

脚本: リー・プレスマン

内容: ディーゼルコガモを可愛がる様子がバレた後、乱暴な態度の維持に苦労する。

 

【高評価点】

・教訓「穏やかな一面があったっていい」。

ディーゼル、ハリーとバートのキャラクター開発。

ディーゼルのテーマ。

 

【中立点】

・物語を通して、秘めた意外性が本筋なのだが、ハリーとバートは冒頭で蝶々を追いかける伏線を張っているとはいえ、違和感があり突飛な設定に見える。

 

【低評価点】

・吹替版の「抱きしめたくなる」という訳。

 

 

 

【このエピソードについて】

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©︎Mattel

 ファンの間でめちゃくちゃに過小評価されていますが、実に興味深いエピソードだと個人的には思うのです。「ディーゼルというキャラクター性が貶された」と思い込む人が出てくるのは正直想像に難くありませんでしたが、自分の想定よりも遥かに多かったですね。中には「リー・プレスマンの脚本はシャロン・ミラー風だ」と主張する人まで出てきました。本当にそうでしょうか? 確かに昔のディーゼルしか見たことない人なら、まず信じられない光景だとは思いますが。

こうは考えられませんか。

私がよく言う「キャラクターの成長」と。

 

 まず、ディーゼルの穏やかな一面はたった今どこからともなく湧き上がったものではなく、単純にS19『ディーゼルクリスマス・キャロル』の続編だと思うんです。あくまでクリスマスの時の教訓だと思っていましたが、そこで学んだことをきちんと踏襲しているので、S14『ディーゼルのとくべつなにもつ』のような突然変異的なランダム性は一切感じません。

 第二に、ディーゼルといえば乱暴者ですよね。後述しますが、ここでは彼の二面性が描かれています。先述の通り『ディーゼルクリスマス・キャロル』は一時的な教訓に過ぎないと思いました。なぜなら彼がいつまでもいい子で居続けるのはあり得ないと思ったからです。S18『ダンカンはもんくばっかり』みたいにね。ディーゼルの場合は身を持って根本から善良を叩き込まれてはいますが、彼には常に悪友がおり、すぐに乱暴な態度に戻ることだろうと当時考えたことを覚えています。ほら、今回みたいに。

それに今回のエピソード自体は「いい子ちゃんで居続ける」が教訓ではなく、「穏やかな一面があってもいい」です

『ライフレッスン』の「お友達と仲良くしよう / Be Nice to Your Friends」は今回よりむしろ次のシリーズの話のような気がするんですが、今回で言えば視聴者目線が学ぶ教訓とも言えます。これはディーゼルには難しいことでしたから。

 

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©︎Mattel

 ディーゼルの扱い方は、『ディーゼルのとくべつなにもつ』や『ディーゼルクリスマス・キャロル』よりずっと優れています。開始時点で優しいわけじゃないし、急に心変わりするわけでもなく、普段から意地悪で、カモ(野生動物)の前だけソフトな一面を持つだけです。

そして蒸気機関車や貨車に意地悪をするとき、ハリーとバートだけでなく、気づきにくいですけど、必ず画面はじに他のディーゼル機関車が映っているんですよね。パーシーを突き飛ばした時は対面にシドニーがいたし、ジェームスとゴードンを足止めするときは対面にノーマンがいます。シドニーもノーマンも優しい性格のキャラクターですが、機関庫でいつも一緒にいるメンバーとして、彼のモットーに矛盾があることに気づかれないようにしてることが描かれているんです。もちろんこれは素のディーゼルですが、トーマスとの約束を破る理由はここにあります。

 

 音楽も物語に命を吹き込んでいます。エドウェルチ、ロバート・ハーツホーン時代も一応キャラクター別にテーマ曲が存在していた*1のですが、特徴としては似たり寄ったりで判別が難しい感じだったんですよね。しかしクリス・レンショウは今期からディーゼル専用の特徴的なテーマ曲を与えました

マイク・オドネルとジュニア・キャンベルの表現した"怪しい訪問者"のようなディーゼルのテーマとは大きく異なり、クリス・レンショウの表現するディーゼルのテーマは、ファンキーな感じですが、本作準拠の"断固として乱暴"をイメージしていて、すっかりソドー島に定着した今のディーゼルにとてもぴったりなんです。

 

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©︎Mattel

 繰り返しの場面は多いですが、トーマスに弱みを握られた後のディーゼルはちょっと面白いです。『ドラえもん』の「秘スパイ大作戦」で、弱みを握ったスネ夫のび太の前でことあるごとに「かびん」の三文字で言いなりにする場面が脳裏をよぎります。トーマスが脅迫していると問題視している人もいますが、むしろディーゼルの敵役として立ち回っていて、これが教訓を強めていると私は思うのです。悪いこともしてないですし。

 韻を踏むセリフに関してはそれほど鬱陶しくはないです。悪いディーゼルたちのスローガンみたいな感じと捉えることができます。

 

 なんだかんだでハリーバート久しぶりですよね。CG期では早い段階からここに至るまで継続して出てはいるんですけど、ブレナー/マキュー期では初めて物語で扱われたので、第16シリーズ以来に喋ります。ただその、『みんなあつまれ! しゅっぱつしんこう』とその辺の時代を思わせる、ディーゼルのツレ的な立場は相変わらずでしたね。もはや第5シリーズの面影もない、ただの意地悪なミニオンみたいな振りで、その場に居合わせただけだったのは残念です。

 

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©︎Mattel

 主役にトーマスがいたことでダックと絡む機会を逃したと言う人をよく見かけますが、私は全く同意できません。確かに「Ducklings」とサブタイトルを打っていると、絡むのかなと期待してしまう人の気持ちもわかります。第8シリーズから唐突にライバル関係になったトーマスと違ってダックにはきちんと歴史もありますし、1991年以降ずっと絡みがないですから。

でも、思い返してみてください。ダックとディーゼルってお互いに嫌悪しているんですよね。今まで仲良く並んだこともないですし、もし今回のアドバイス役がダックだったら、そもそも恨みが重なってより一層ディーゼルに厳しいか、S17『トーマスりゅうでいこう』みたいに柔軟な発想ができなかったと思うんですよね。ダックはトーマスよりも思考が落ち着いていて、回りくどいことはしないんです。

間に脇役としてダックがギャグ要員で出てきても良かったかもしれませんが、仮にやるんならもっと別の機会に特別かつ派手にしてほしいかなと。結局その機会は訪れなかったけど、結果論に過ぎない。制作チームは意図的に同じ画面に入れないようにしているように見えます。

 

 それはそれとして、今回の教訓を大変気に入っています。

トーマスの番組内でも群を抜いて珍しいですし、未就学児向け番組でこれを行うことで、視聴者の子供たちに「穏やかな内面があっても恥ずかしいことじゃない」ことを伝えることができます。これ自体を「可愛らしいものが好き」に置き換えてもいいです。

特に学校での男子は、強くなくてはならないという古い固定観念がこびりついており、動物やぬいぐるみが大好きな私はよく反感を買われるどころか、常に先輩から「荒く力強くあれ」と鍛え… いや、しごかれていました。何かを履き違えているパターンです。余計なお世話じゃボケ。

さらに置き換えれば、それこそ大人のトーマスファン全体にも共通するのではないかと思うんですけどね。どうでしょう? 学生時代に「5歳を過ぎてもまだ子供向け番組が好き」なことに対して咎められた人、今の大人のファンの間ではそう少なくないと思うんですが。

あとは穏やかな内面の対象を野生動物から家族に置き換えて考えてみるのも良し。

 

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©︎Mattel

 誤解しないでいただきたいのは、私自身はキュートな性格のディーゼルのファンではないことです。今、彼の中には『ディーゼルクリスマス・キャロル』を経て何か揺らぐものがあったのではとも解釈できると伝えたいのです。それか、もっと前からそれがあったのかも。

ブレナー期のディーゼルは、乱暴者と狡猾なところは変わらないものの、もっと複雑な性格で魅力を持たせようとしているように思えるんです。単にハートフルにさせたいとかではなく。S18『きえたディーゼルきかんしゃたち』や『いしきりばのトーマス』、S19『パーシーをきゅうしゅつせよ』を観ていてそう感じます。素直になれないとか、自覚があっても謝るのが苦手とか、そういう一面がありましたよね。

 古参ファンの多くは概ね、カリスマ的な悪役のディーゼルを求めているのでしょう。それが彼のキャラクター性なので私も同じように求めていますが、頑なに同じような事を何回もしたとして、やがて古臭くなるか、飽きてしまいます。他のキャラクターは成長してるのに、なんでディーゼルは成長がないのか、と。

キャラクター性に差し支えのない範囲で深掘りを与え、何がディーゼルたらしめるのかを表現していくことが、この頃のディーゼルを扱う脚本家の課題なのではないでしょうか。最後の一文はあくまでも私の深読みに過ぎないのですが、このエピソードはそれがよく出来ており、評価に値します。

 

 逆に、ハリーとバートに関しては急にその性格どっから来た? と思いました。まあ視聴者側にとっても意外性を表現した本筋としてそうしたかったのかもしれませんが、彼らを終始知性の感じられないのほほんとしたミニオンのように描くのであれば、個人的には粗さと優しさを併せ持つデンとダートの方がこの役割に相応しい気もします。

でも、日本語吹替版の「抱きしめたくなる」って一体どういう表現ですか? 原語版のバートの台詞は「Cuddly wuddly woo」と、確かに「抱きしめたい」という意味にはなりますが、「寄り添いたい」ではダメでしょうか。機関車には手がないのに? 2D期じゃないんだから。

…どうして2016年のレビューに2021年の情報がでしゃばるのだ?

 

 

【チェックポイント】

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©︎Mattel

 ディーゼルの機関士まで乱暴なのが面白かったです。洗車場の場面をよく見ると、パーシーの機関士からデッキブラシを奪い取ってます(笑) なんてやつだ。

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©︎Mattel

 実は冒頭の場面をよく見ると、ハリーとバートは蝶々を追いかけています(笑) 一応これが後の伏線になっているんですよね。

 

 

全体的な面白さ:☆☆☆

鉄道らしさ:☆

リアリズム:☆☆☆

キャラ活用:☆☆☆

BGMの良さ:☆☆☆

アニメーション:☆☆☆

道徳:GREAT

 

【最終的な感想】

 誰もが脳裏によぎったでしょうけれど「不良少年が善良なことをした」とはまた別の話だと思うんですよね。前回みたいなオードリースタイルではないし、良い意味でも悪い意味でもトーマスらしくない作品ではあるのですが、ディーゼルの興味深いキャラ開発がバランスよく施された、良い道徳観のエピソードとして、私はこれをかなり気に入っています。

 

総合評価: 9/10

 

 

【第20シリーズ総合評価】

1 うたうシドニー 9/10

2 トビーとフィリップ 8/10

3 ヘンリーか?ゴードンか? 10/10

4 ディーゼルのひみつ 9/10

 

※この記事に添付したスクリーンショット著作権は全てマテル社に帰属します。

*1:特にスチーム・チームとスカーロイ鉄道