※この記事にはネタバレが含まれています。
また、記事の内容は個人的な意見であり、他者の代表ではありません。
S20 E05 『The Christmas Coffeepot』『コーヒーポットきかんしゃグリン』
脚本: ヘレン・フォラル
内容: マリオンはコーヒーポット機関車グリンを再発見し、トーマスは修復してウルフステッド城へ連れて行く。
【高評価点】
・グリンの設定は原作設定に忠実で、第19シリーズ以降ファークァー駅の側線に居なかった理由づけもその一つである。
・日本語吹き替え版のグリンの声がスティーブンと重ならなくなった。
【中立点】
・グリンがスクラップにされることを危惧するのはヒロよりも理に適っているが、これでは『伝説の英雄』のグリンバージョンである。
・ソドー島のコーヒーポット機関車を製造したのがトップハム・ハット卿という設定は原作に忠実だが、この世界のトップハム・ハット卿は一体何年生きているのだろうか。
【低評価点】
・『伝説の英雄』の焼き直しであろうとなかろうとなおさら疑問なのだが、なぜトーマスとパーシーはグリンがスクラップになると確信したのだろうか。
【このエピソードについて】
『コーヒーポットきかんしゃグリン』と次の『グリンとスティーブンのレース』は、放送版では英国、米国、日本ともに第21シリーズとして2017年の冬に放送され、各種配信サービス並びに米国と英国のみプライムビデオで配信された「The Complete Series 21」に収録されています。しかし、これらの2つはイアン・マキューによれば第20シリーズのクリスマスDVD用に制作された物だと言います。2016年に米国でのみ発売された「Tinsel on the Tracks」がそうですね。制作オーダーもS20の第5話、第6話ですし、どう考えてもS21の前日譚なんですよね。
というわけで最初の印象はこれらが第20シリーズのエピソードなので、このままレビュー記事を投稿します。
『トーマスのはじめて物語』の終盤に一幕だけ登場したグリンが再び登場するとは思いませんでした。彼の出番は劇中ではトーマスの支線もといファークァー線の前任者を仄めかすのみの出番でしたので、おもちゃを売るためだけに登場したと考える人もいましたが、私のようにウィルバート・オードリーが考案した設定を隈なく調べるコアなファンにとっては、原作設定に基づいた小さなイースター・エッグだと受け入れられていました。
原作設定のコーヒーポット機関車は全部で3~4台いて、どれも全てトーマスとエドワードが来島する前、そして3つの私鉄がノース・ウェスタン鉄道に統合する前に初代トップハム・ハット卿によって製造されました。
その設定に基づいているであろうグリンが再び出てきたことに私が驚いた理由は、コーヒーポットたちが廃車になっているためです。まあ、実際には『The Island of Sodor: Its People, History and Railways』(1987年出版)によれば、トビーが来島前後の1950年頃に役目を終えていて、大体トーマスと警察官との揉め事があったあたりで1~2台くらい採石場で働いていたらしいので、ある意味、理に適っています。
でも、最近発覚した、1976年にオードリー牧師によって書かれた説論『Railways of Sodor』によれば、コーヒーポット1号機関車は1912年(鉄道統合時)に老朽化と不十分な性能でスクラップになっており、その後継機に2号と3号機関車が製造されたらしいんですよね。
まあ、原作は原作、テレビはテレビなので、一旦切り離して本題に入りましょう。
このエピソードはそうですね…、私が期待していたものではなかったと言えます。今のところ、私が敬愛するヘレン・フォラル脚本の中で最も弱い作品だと思います。でも、安心してほしいのと、私自身が気に入っているのは、フォラルのキャラクターへの理解度の高さは健在だということです。
その一つがマリオンです。彼女は、S18『ショベルきかんしゃマリオン』で水道管をバイキング船のマストと勘違いしたり、映画『探せ! 謎の海賊船と失われた宝物』で島にオリバーは一台しかいないと思い込んだり、小さな機関車たちを魔法と思い込んだ時と同じように、木の奥にいたグリンを「喋る木」と勘違いして空想を広げておかしな結論に辿り着きます。彼女の感性と想像力の豊かさは実際に面白いし、良かったです。それに対してトーマス、パーシー、トビーといった支線の仲間達がからかったり談笑しているのも不快感がなくて良いですね。
なぜマリオンはビルとベンの前ではしっかり者の母親のような存在で描かれるのに、彼らがいない場所では大袈裟に暴走するキャラクターになってしまうのかと疑問に思っている人をよく見かけます。S18をレビューした時の私もそうでした。でもよくよく考えれば、単純な話が、彼女はビルとベンとよく一緒にいるので、彼らのすることに慣れているからなのだと思います。彼女は普段から想像力が高く、地面から露呈する水道管や、巨大な恐竜の模型、森の奥から話しかけてくる謎の声など、日常的に目にするものではないものにいとも簡単に意表を突かれてしまうのでしょう。
でも、どうしてUS版にあったグリンの台詞を、UK版で消してしまったのでしょう? 間が不自然になります。
トーマスとグリンの再会は全くもって大きなものではありません。ヒロのように驚愕するわけでもなく、ゲイターに再会するときみたく大喜びするわけでもないのです。でも、私にとってはこれは問題ないと思います。確かに前任者と後継者の再会ではありますが、ゲイターのように印象深い関わりはないですし、駅で会った程度です。トーマスがよく覚えていないのも無理はないでしょう。むしろ、静かで落ち着いた再会の仕方が好きです。
また、グリンが第19シリーズ以降のファークァー駅の側線に居なかった理由が明かされたのも良かったですね。あっちこっちに移動させられたというのも、実は原作設定に基づいているんですよね。もちろん2~4号のことになりますが、ウェルズワースで試用されたり、採石場の専用線に異動したり。グリンの場合は乗客に朽ち果てたところを見せないようにしたのかな…?
このエピソードの最も不満なところは、『伝説の英雄』の簡易版あるいはグリン版になっているところです。グリンが「見つかったらスクラップになる」と不安になるのは彼の歴史を考えても理に適った台詞ではあるのですが、焼き直しだろうと無かろうと、トーマスとパーシーはすでにトップハム・ハット卿がヒロをスクラップにしなかったことを知っているはずなのに、なぜグリンのいう通りだと思ったのでしょうか。少なくともTV版のトップハム・ハット卿は人格者だし、そうするはずがないのは視聴者もわかりきっています。トーマスとパーシーがグリンを落ち着かせたり、グリンのいない場でトップハム・ハット卿と相談していたら、少しは独創性があったかもしれません。
展開に不満はありますが、グリンがウルフステッド城の一員としてロバート・ノランビー伯爵の管理下で保存される設定を大変気に入っています。TV版の伯爵の領地は観光地としてだけでなく、温かい保存鉄道のようですごく好きなんです。サム・ウィルキンソンの言うようにソドー島自体が巨大な保存鉄道であることを暗に示しているともみて取れますね。
ここで唯一不満そうな顔をしているスティーブンは次回への伏線になっています。
原語版では、原作設定に基づいて、グリンがトップハム・ハット卿によって製造されたことを示唆する台詞があったのが良かったです。吹き替え版では「初めて会った」とニュアンスが大きく異なるので、直訳しますと以下のセリフになります。
「I must say, Glynn, you like as splendid engine as the day when I built you. (グリン、きみは私が作った時のように立派だぞ)」
ただ、これは『はじめて物語』を観た時も思ったことで、ものすごく疑問なのですが、TV版のトップハム・ハット卿っていったい何歳なんですかね。そもそも番組上で歳をとるのか。S16『トップハム・ハットきょうのたんじょうび』では回想シーンでエドワードに乗る若かりし頃のトップハム・ハット卿が描かれており、普通の人間を示していたのですが、ブレナーチームは納得がいかなかったのか、忘れ去られていますね。
TV版ではCG初期に「バートラム」というファーストネームで呼ばれていたこともあり、原作設定の3世代に渡るトップハム・ハット卿とはおそらく切り離して考えられているのでしょう。個人的には、TV版の彼は原作設定で云う、1914年に生まれた2代目のチャールズ・トップハム・ハットが最も近しいと考えています。そうなると孫たちと整合性が付かなくなってしまいますが、ロバート・ノランビー伯爵と友好関係にあることや、上述の回想シーンでは辻褄が合うんです。
何が言いたいかというと、たとえ「バートラム」が3世代のトップハム・ハット卿と関係ないとしても、原作設定を知っていようがいなかろうが、「私の父親が作った」という設定で言及すればこの場面も自然だったのではないかと思うんです。そうすれば『はじめて物語』から何年経っても"お爺さん"なトップハム・ハット卿に対する違和感が多少軽減されるのではないかと。
【チェックポイント】
マリオンの実機って、本当はロッキーみたいに自走しないタイプの車両なのですが、マリオンの車軸をよく見ると、ラウルなどのセンチネル製蒸気機関車やアメリカの森林鉄道の機関車みたいにチェーンが歯車を伝達して走っているっぽいんですよね。今回の描写でマリオンに乗組員がいることを物理的に証明したことと同じくらい、どのようにして走行しているのかをきちんと描いていたことが知ることができて嬉しいです。
グリンが綺麗に磨かれる場面は『はじめて物語』のオマージュなのでしょう。錆びた部分は上塗りするより削った方がいいのではと思ってしまいますが(笑)
グリンの声優に関して気に入っていることが一つあります。それは日本語吹替版です。『はじめて物語』ではスティーブンと同じ金光宣明だったので、この回が吹き替えられる時どうなるのだろうと不安でしたが、ジェロームと同じ秋吉徹になったことにより、穏やかな老人グリンとしての深みが増したように感じました。
原語版はキース・ウィッカムで十分あっているのですが、声音がスカーロイと全く一緒で、赤いボディと相俟って、どうしてもスカーロイが脳裏によぎってしまいます。
全体的な面白さ:☆
鉄道らしさ:☆☆☆
リアリズム:☆☆☆
キャラ活用:☆☆
BGMの良さ:☆☆
アニメーション:☆☆☆
道徳:☆☆
【最終的な感想】
グリンの設定は複雑になりつつあるし、展開に関しては一工夫必要だと感じましたが、トップハム・ハット卿やノランビー伯爵の態度やグリンにしてくれたことに心がこもっていて温かい気持ちになるし、嫌いにはなれません。グリンに居場所を与えたのはとてもいいことだし、何より次回の温かい話につながるので私の中ではOKラインです。
総合評価: 6/10
【第20シリーズ総合評価】
1 うたうシドニー 9/10
2 サンタクロースへのてがみ 10/10
3 トビーとフィリップ 8/10
4 ヘンリーか?ゴードンか? 10/10
5 コーヒーポットきかんしゃグリン 6/10
7 ディーゼルのひみつ 9/10